「目先の課題に対応する愚」

「勝手に何をやってるんだ!!」

 A社では社長のこんな言葉を恐れて社員が萎縮していました。私はコンサルタントとしていろいろな社員に話を聞く機会があります。A社で管理職へインタビューした時、先の言葉を社長に言われて萎縮している部長がいました。

 A社は社員数が30人くらいの会社です。一代でここまでにした社長の手腕は素晴らしいといえるでしょう。「社長が敏腕な場合、下がなかなか育たない」ということを耳にしますが、A社も例外ではなく、社長の敏腕さが仇(あだ)となっていたようです。

 前述の部長は、取引先からの注文に対応しようと部下に設計と見積もりを任せました。ところが、部下の処理に手間取り、社長が営業窓口になっている別案件の対応が遅れました。このことで社長の追求を受け、雷を落とされたというわけです。

 「そんな小さなことで?」と思いましたか。しかし、規模の大小はあれ、こうしたことは結構あります。そんな中、社員へのインタビューを通じて、社長には、社員が「ブレ」と受け取る言動が少なくないことが分かってきました。

 部下は社長に、次のような印象を持っているようです。仕事を任せるときは「君に権限を全て任せる」と権限委譲してしばらく放置する。ふと思い出したときにイライラした様子で「あれはどうなってる?」と聞きに来る。そして、自分の思い通りの進捗でないと、「出来ていないじゃないか!」と雷を落とすというものです。

 このような管理を、最近では「マイクロマネジメント」といいます。こうした言動をみせる社長の下では、部下が萎縮してしまうのも仕方がないかもしれません。

 しかし、社長の気持ちも分かります。社長は社員への権限委譲に伴うジレンマを処理できていなかったのです。というのも、A社は創業して20年で年商10億円なのですが、「壁」に直面していました。中小企業経営では「年商10億円の壁」があるといわれます。これは、社長によるトップダウンのスタイルでは成長が止まることを意味します。A社はまさにその壁に直面していました。

100%自分に責任があることを知る

 社長は、「部下に権限を委ねなければ、これ以上の会社の成長はない」と真剣に思っているのです。しかし、部下に委ねていては、目先の業績を達成できるかどうか分からない。そのため、ついマイクロマネジメントに走ってしまうのです。

 この影響もあり、A社の社員は入れ替わりが激しいようでした。古参社員はいますが、皆がおとなしい。新しく入った社員は社長のマイクロマネジメントに嫌気がさして辞めていく。そんな状態だったのです。当然ながら、古参社員が部長などの管理職になるのですが、社長から見ると「物足りない管理職」ばかりになってしまっていました。

話が逸れるようですが、経営者にとって会社は巨大な船の操船に似ています。巨大な船舶は慣性も非常に大きい。慣性が大きいと、操舵してから機体の運動に反映されるまでに時間がかかり、機体の運動が始まったら逆に修正が効きにくいという問題があります。小舟なら慣性が小さいため、目の前にある障害物を考えて舵を切れば十分です。ところが、タンカーでそんなことをすれば、目の前にある障害物は避けられるかもしれませんが、遅れて大きく曲がり、思わぬ事故を招くのです。

 A社の経営も同じことでした。社長は権限委譲を意識していましたが、それ以上に当年度業績が気になってマイクロマネジメントをしてしまいました。確かに、これで単年度業績が上がりました。しかし、その半面、社員の裁量を削ぐ結果になっていました。それだけではありません。裁量を削がれた古参社員を仕方なく管理職にせざるを得なくなったのです。

 当然ながら、管理職が培った経験は部下に伝わります。A社の管理職から部下に伝わることには、この会社での処世術が含まれていたことでしょう。つまり、「この会社ではおとなしくないとダメ」とか「社長には細かい指示を求めた方が怒られない」とか、そういった類いのことです

 社長がマイクロマネジメントする際に、末端の社員にまで伝わることを意図したとは到底思えません。目先の業績を良くしようとしただけのはずです。しかし、先述のように経営者が目先の課題に対応して意思決定することは、まるでタンカーの船長(操舵手)が目先の障害物に応じて大きく舵を切るようなものです。A社では目先の業績を上げられたのですが、後々になってその副作用が出てきました。

 経営者は目先の課題に振り回されてはならないのです。

目先の課題よりも大切にすべきもの

振り回されないためには、経営者に目先の課題よりも大切にしたい「何か」がなければなりません。目先の課題より大切にしたいことは、ビジョンではないでしょうか。ビジョンというと抽象的と感じるかもしれませんが、それは、ビジョンの大切さを実感していない素人の考え方です。

 ビジョンを徹底させていくことで生まれていく会社の空気は強いものです。強力なリーダーシップの下には、必ず強力なビジョンがあります。経営者はビジョンを作って徹底させていく過程を通じて、その効果を実感していくものです。ここでいうリーダーシップとは独裁とか恐怖政治ではないのはいうまでもないでしょう。逆に自発的・自主的な社風を生み出すものです。

 ビジョン策定に際しては、決して短期的な見方や視野狭窄には陥ってはいけません。100年の計のつもりで取り組みたいものです。どんなに小さな会社であっても、小舟の船長のつもりではいけません。目の前の課題だけに対応していれば、会社の寿命はせいぜい30年です。産業の衰退と共に会社の寿命も尽きます。

 経営者は、1つひとつの意思決定が重大な結果につながることを意識し、タンカーの操船のつもりで物事に当たらなければなりません。

 100年を考えれば、目先の課題に対応することは枝葉末節に見えるものです。それよりも大切にしたいのは、自ら考えて行動する社員をいかに育てられるかであるはずです。

経営者はバージョンアップし続けなければならない

 そうした観点に立ち、しっかりとしたビジョンを定める。ビジョンを徹底させる過程で社風が形成されていくのを実感する。任期が短いサラリーマン経営者はさておき、オーナーや長期経営に携わる経営者にとって大切なことはこうしたことです。

 話を戻しましょう。社長は古参社員の管理職を「物足りない」と言ったのですが、客観的に見ると、それは完全に筋違いでした。その責任は社長にあるからです。しかし、話を聞くと社長は自分の責任を全く認めていないわけではありませんでした。要するに愚痴だったのです。

 それからしばらく、コンサルティングで何度か打ち合わせを重ねるたびに、私は社長の愚痴を聞くことに徹しました。誰しも人に聞いてもらうことでガス抜きができて、自分の本音や本心に気付くものだからです。すると、社長は徐々に自分の責任であることを認める発言をするようになりました。

 社長の気づきは古参社員が「物足りない」ことにとどまりませんでした。新しい社員が辞めていくこと、いつまでも自分の仕事が減らないこと、会社の成長が「踊り場」になっていること、全てを自分の責任だと認める趣旨の発言を繰り返すようになりました。

 その後、私の助言で社長はビジョンの策定に取り組みました。その時に私は、「タンカーの操縦をしているようなイメージで、中・長期的に実現したいことを書いてください」と助言しました。すると、さすがに短期間で会社を成長させた社長だけあって、考案したビジョンは秀逸でした。守秘義務の関係上コラムで紹介できないのが残念ですが、本質を突いた言葉が出てきたのです。

 後日談ですが、A社長からは嬉しい報告を聞きました。「我慢ができるようになったんですよ」という社長の感想が象徴的ですが、従来と比べて相当な権限委譲ができるようになり、新しい社員が居着くようになったというのです。

 先の通り、中小企業の成長には「10億円の壁」だけではなく、「100億円の壁」まで存在することが知られています。A社の例から明らかですが、この壁は社長の仕事の仕方によるものです。これまでの仕事のパターンを否定するため、そう簡単には変えられないのです。

 この壁を見事に乗り越えた社長の例から学ぶことがあります。それは、「経営者たるもの、常に自分をバージョンアップし続けないといけない」ということです。

 さて、あなたはタンカーを操船するようなイメージで意思決定に当たっているでしょうか。しっかりとしたビジョンを立てていますか。

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。