経営者は本質を追究する、管理者は綺麗な説明を求める
「本当に売れるの?」
仕事柄、たくさんの研究開発の会議をしています。研究開発会議では、実にさまざまな性質のテーマを検討します。テーマはいろいろあります。「市場性はありそうだが、よそもやっているもの」や、「独自性はありそうだが、出口が見えないもの」、「高い利益率が取れそうだが、市場が小さそうなもの」、などです。課題のないテーマなどありませんよね。
冒頭の言葉は、開発会議でよく聞かれる言葉です。課題を1つひとつ潰していくことが開発会議の役割であり、テーマの検討を行う上で必須の事項となります。売れるかどうかを検討するのもその項目の1つです。
この開発会議ですが、技術者の中には「批判を浴びる場所」というイメージを持つ人もいます。それはなぜか──。
開発会議で発表するのはテーマを検討している技術者です。テーマを推進して「売れるのか?」という課題があることは当の本人が最も認識しています。しかし、発表して方々から批判めいたことを言われると、会議で売れるかどうかを検討しているというよりも、批判を浴びているというような気になってしまうからです。
開発会議における代表的な発言として、冒頭の「本当に売れるの?」に加えて、「本当にできるの?」「期限に遅れているようだけど?」などがあります。普通なら批判めいて聞こえないのかもしれませんが、発言者に批判の意図はなくても、発表する技術者には批判と受け取れるのです。こうしたところが、開発会議の厄介なところなのかもしれません。
そもそも不確実なことをやっているわけですから、本当に売れるかどうかはやってみなければ分かりません。しかし、自分がテーマ企画者であれば「本当に売れるの?」と言われて、「分かりません」とはなかなか言えません。売れないものをやっているつもりは当然ないでしょう。しかし、心理的プレッシャーが強ければ、「売れます」と啖呵を切らなければならない状況にさえなります。
優秀な経営者はこう言う
「このテーマに関しては、他のテーマと同じ扱いをせずに、このテーマらしさを追求した方が良いんじゃないだろうか?」
この言葉は、とある経営者が、部下の技術者が開発会議で発表した際に発したものです。状況を共有するために少し説明すると、テーマを発表する技術者は非常に優秀な方です。いつも論理的で、彼の同僚は皆その発言に納得します。その時のテーマの発表もすごく論理的なものでした。一方、件(くだん)の経営者が感じたのは違和感だったのです。
一般的な話ですが、技術シーズを検討していて用途が見えていない段階というのは結構厳しいのです。そんなとき、企画した技術者は何らかの用途を持ってきて説明することがあります。客観的に見ると、その用途がやや無理やりに感じられたり、拙速さや焦りが見えたり…。同じようなことを経験した読者は多いのではないでしょうか?
こうした構図が、まさにこの開発会議にありました。いつものように技術者の方の発表は非常に論理的だったのです。しかし、開発を始めて数年が経過しています。そろそろ出口が欲しい頃であることも事実でした。技術者は最近発見した用途を発表したのですが、経営者はそこに違和感を覚えたのだろうと思います。
「このテーマらしさを追求したほうが良いのでは?」という言葉には、本質を追求すべきであるとの示唆があるとともに、技術者の方の心理的負担を減らす効果もありました。言外に「無理やり用途を作らなくても構わないよ」という意図を感じられたからです。
技術者の方は経営者の発言を聞いて安心したのでしょう。「その通りですね」と繰り返し、安堵の表情を見せていました。私にとっても印象的な出来事だったので、すごくよく覚えています。
本質追求の姿勢が部下を鼓舞する
一方、「本当に売れるの?」という言葉は誰でも言えます。管理職であれば、予算を使う部下を承認するのに投資対効果の説明を受けたいと思いますし、それに応じて部下も説明したいと思うのは当然です。
しかし、テーマの性質上、できないことがあるのもまた事実。分かりきったことなのに、上司が「売れるの?」と言っても、本質を欠いた指摘になることは言うまでもありません。
本来、テーマの性質は変えられないものです。テーマは技術そのものであり、用途に好適かどうかは別問題です。冒頭の例で言えば、技術シーズにはそれにふさわしい用途があり、その用途を探索することが本質なのであって、無理やり用途を見つけてこじつけることは本質を欠くものです。
上司が「売れるの?」と言えば、部下は売れるとしか言えません。上司側にどこか自信のなさや、責任をなすりつけようという甘えがあれば、部下は当然見透かします。そして、そうされた部下は無理やり用途を提案することを強いられるのです。
誤解のないように加えますが、「売れるの?」と問うことが常に悪いと言っているのではありません。注意しなければ、テーマの本質を見えなくしてしまう危険性を秘めていると言っているのです。
一方で、「このテーマらしさを追求したほうがよいのでは?」という言葉は、本質を追求するように技術者に勇気を与える素晴らしい言葉でした。何より、技術者が晴れ晴れしい顔をしており、私はその顔が忘れられません。この技術者は、今後拙速な用途提案をせずにテーマに合った用途を探索するだろうと思います。
あなたは本質を追求していますか?
経営者である以上、自信のなさを露呈したり責任転嫁したりすることなく、常に本質を追求する姿勢を崩さずにいたいものです。この例では、その姿勢が社員に伝播したことで、やる気を鼓舞することにもつながったことを示しています。
これが「きれいな説明」を求める上司だったらどうなったでしょうか。無理やり持ってきた用途を開発するための研究開発を続け、その技術にふさわしい商品にはならなかったはずです。競合との性能差もつきづらく、高い収益をもたらすこともないはずです。
しかし、部下に本質を追求させるのは、勇気がいる話でもあります。研究開発では常に投資が先に立つからです。そして、責任は常に上司が負うもの。そこには理不尽もたくさんあることでしょう。
何も「理不尽を受け入れよ」と言っているわけではありません。しかし、経営者が心して掛からなければ部下はそれを見透かして行動し、「きれいな説明」をしようとします。しかし、「きれいな説明」には良い結末が待っていることはありません。本質に迫った結果のみが高収益を生み出すのです。
あなたは本質を追求するように努力していますか?