知財力が低いのではない、技術力が低いのだ【技術企業の高収益化#110】

技術力が低いのではない、知財力が低いのだ

すっかり冬になりましたね。今日も寒いです。私は京都に住んでいるのですが、仕事は、全国津々浦々でしています。「京都から来ました」と言うとよく聞かれることがあります。「京都って、夏暑くて、冬寒いんでしょ?」という質問です。

確かに東京に比べると、夏は暑く、冬は寒いような気はします。でも、正直言って「住めば都」だと思います。どこであろうと、住んでいると地域の寒さや暑さは慣れてしまうもののようです。私は寒がりなので、冬は床暖房にファンヒーターをガンガンつけて暮らしています(エコではありません。読者の皆さんは真似しないで下さい)。おかげさまで、我が家の冬は快適です。

京都に住んでいるということもあり、関西で仕事もしています。先般はJIPA(ジパ)、いわゆる「知財協」の関西支部で講演をする機会がありました。知財協とは、知財部門の担当者の研修や政策提言などの活動をする団体です。

講演に講師として呼んでいただいたため、「皆様にお役に立つ内容を」と思って講演のタイトルを考えました。そして、今回のコラムのタイトルと同じタイトルを思いつきました。

そう、「知財力が低いのではない、技術力が低いのだ!」というタイトルです。このタイトル、正直に言って私の本心をありのままに述べたものです。講演の前後に主催者の方に伺うと、「タイトルにインパクトがあって受講者がいつもより多い」とのことでした。講演も「面白かった」と言っていただき、講師としては一安心でした。

このコラムで自慢をしたいわけではありません。私が常々当たり前だと思っていたことが、意外と関心が高かったことを説明したいのです。というのも、知財の悩みは、知財そのものというよりも、知財の源流にある研究開発テーマの設定に問題があるからです。

技術力と知財力は表裏一体

私は技術力と知財力は表裏一体だと思っています。表裏一体というのは要するにバランスの取れた発展が必要だということ。発明が大したものでなければ、良い特許は取れませんよね? 逆に、すごく良い発明なのに、明細書が下手だとそれが伝わりにくい。もったいと思いませんか。 講演会の聴衆は知財の担当者。知財部門はなんとか知財力を高めようと必死なのです。知財力を高めるためのいろいろな策を実施しています。私の見立てですが、知財で努力している会社は多く、良い発明さえ出てくれば権利化して活用する土壌は整っていると言ってもよいでしょう。

そのため、「知財力が低いのではない」と言い切りました。そして、(実は)「技術力が低いのだ」という当たり前のことを言ったわけです。そして、技術力が低いというのは、要するに研究開発テーマの設定が良くないのです。

テーマ設定とは、研究開発の題材のこと。お客様の要望を聞いたり、事業部の要望を叶えるテーマ設定をしたりしていても、売り上げは立つかもしれませんが、良い知財が取れず価格主導権が握れないため、収益は上がりません。

このコラムでも何度も書いている通り、収益は独自性の果実です。「技術力が低い」とは、独自性の高い技術を作ろうとする活動がないという意味なのです。独自性が高いということは、差異化になるというだけではなく、知財も取りやすいということです。差異化になって知財も取れれば一石二鳥ではないですか。知財によって、事業も長生きするというものです。

言ってみれば「簡潔明瞭」なことなのです。とはいえ、「技術力が低い」とは知財部門から技術部門に対して口が裂けても言えない。そのため、知財部門に代わって言ってあげる形になる上記講演会は好評を博したのだと拝察しています(手前味噌ですみません)。

技術力を高める仕組みがあるか?

さて、技術者の皆さん。皆さんの会社には、技術力を高める仕組み、つまり、独自性の高い技術を作ろうとする活動がありますか。 良い知財を取る意味でも、この活動がキーポイントです。大した技術でもないのに良い知財は取れるはずがありません。良い知財を取るためには、逆に、技術を独自性のあるものにしたいのです。

勝手ながら、私は独自性の高い技術を作る仕組みがないのに、独自性の高い技術は生まれるはずがないと思っています。つまり、独自性の高い技術を創造する前に、独自性の高い技術を作る仕組みが必要なのです。整理すると以下のようになります。

仕組み → 独自性の高い技術 → 良い特許

仕組みがないのに、独自性の高い技術など生まれるはずがないし、結果、良い知財も生まれるはずがありません。つまり、良い特許が生まれない理由は知財部門にはなく、研究開発部門の仕組みにあるということです。

「1人の天才技術者を雇えば、その人が独自技術を作ってくれる」という批判もありそうです。なるほど、確かに1人の天才技術者がいれば、独自性の高い技術を作ってくれるかもしれません。しかし、私はそういう事例を知りません(私は自称、「技術経営オタク」で、いろいろと技術経営の事例や理論の調査をしています。その私が言うのですから間違いありません)。そしてコンサルティングの実務を通じて、いろいろな会社にお邪魔して確信しています。ダメな会社にはこの仕組みがないのです。

仕組みがカギを握る

ところで、私は新卒入社した会社を2年で退社しました。入社直後に「◯◯大学出身者以外は役員になれない」という噂を耳にしたり、その他の「お役所的」な組織の仕組みに嫌気が差したりしたのが理由です。会社から見ても私は「使えないやつ」だったと思いますが、私から見ても全く水が合いませんでした。 その会社には、「いい人」がたくさんいました。そのため、居心地は悪くはなかったです。半面、ぬるま湯的な雰囲気を感じていました。何か「新しいこと」は起こりそうもありませんでした。私は、せっかく仕事をするならば「何か新しいこと」をしたかった。「新しいこと」を起こさずに過ごすのはもったいないと思いました。

読者の中には、もしかすると、当時の私と同じように感じている方もいらっしゃるかもしれません。企業には「新しいこと」を起こせなくする仕組みはいくらでもありますからね。そういう会社では、独自性の高い技術は作れないでしょう。結果、良い知財も生まれない。そして、会社は高収益にならないというわけです。

繰り返しますが、独自性の高い技術を生み出すカギは、何か新しいことをしようという仕組みなのです。この仕組みを意図して作ることが出来る会社こそが独自性の高い技術、良い知財が取得できて高収益になるというわけです。

さて、「知財力が低いのではない、技術力が低いのだ!」というタイトルに戻ります。「技術力が低い」という言葉の意味は、独自性の高い技術を生み出す仕組みがないという意味です。

経営者の明確な意図がなければ、独自性の高い技術と良い知財を生み出す仕組みは作れません。経営者である読者の方は仕組みを意図して作っているか吟味してください。技術者である読者の方は自社の経営者が明確な意図をして仕組みを設計しているか、よく吟味することをお薦めします。

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。