
読者の皆様へ:このコラムは2026年に行ったセミナーを再編集したものです。日々のR&Dマネジメント・ガバナンスの視座となれば幸いです。
要約:R&Dガバナンスとは、研究開発費を管理する仕組みではなく、経営目標から逆算して、どのテーマを創出・継続・中止し、どこへ人・時間・予算を配分するかを決める仕組みです。AI時代にはテーマ創出の高速化に伴い、テーマ評価と資源配分の重要性がさらに高まります。
執筆:中村大介
株式会社如水代表。20年以上にわたりBtoB製造業のR&D・技術マーケティング・知財・新規事業支援に従事。R&Dテーマ創出、ステージゲート、R&Dガバナンスの研修・コンサルティングを行う。
序章 R&D費用を「成長投資」に変えるとはどういうことか
企業の研究開発活動は、本来、将来の成長をつくるための投資である。しかし実際の企業経営では、R&Dはしばしば費用的支出として支出されている。そう、ゾンビテーマへの支出である。利益率が低下すれば研究開発費の削減が求められ、既存テーマの絞り込みが行われる。その結果、むしろ将来の成長を担う新しいテーマに十分な資源が配分されなくなるという逆説が生じる。投資ではなく、費用になってしまうのだ。
本来問われるべきなのは、研究開発費をいくら削減できるかではない。限られた人材、時間、資金を、どのテーマに、どの程度配分すれば将来の企業価値につながるのかという問題である。本稿では、この意思決定の仕組みをR&Dガバナンスとして捉える。
この問題は、AIの急速な進化によってさらに重要になっている。これまで研究開発テーマの創出には、多くの人手と時間が必要だった。自社技術を棚卸しし、用途を探索し、顧客課題や競合を調査し、研究テーマの仮説を立案する。しかし生成AIによって、この探索そのもののコストは急速に低下している。
すると、R&Dにおけるボトルネックも変化する。「良いアイデアが出ない」という問題から、大量に生成された候補の中から「何を選ぶのか」、さらに選択したテーマを「どう実行するのか」という問題へと移っていく。したがってAI時代のR&D改革は、生成AIを導入してテーマ案を大量に作れば終わるものではない。むしろ、テーマ創出、テーマ評価、資源配分、ステージゲート、人事評価までを一体として再設計する必要がある。
貴方の会社では「差別化」の意味が共有されていますか?
結論:多くの会社で差別化という言葉の意味が誤用されており、これがゾンビテーマの温存を招いている
「性能向上」と「差別化」は同じではない
研究開発テーマを評価するとき、多くの企業では競合製品との性能比較が行われる。性能A、性能B、性能Cといった評価軸を設定し、自社製品と競合製品を比較する方法である。例えば、自社が性能Aでは競合を上回っている一方、性能Bでは競合に負けていたとする。この場合、「性能Bで競合に差別化されているので、Bを改善しよう」という研究開発テーマが立案されることがある。しかし、競合も自社も同じ性能軸の上で争っているのであれば、それは本質的には同じ競争軸上での改善である。本稿では、このような競争を「同軸競争」と呼ぶ。
これに対して、本来の差別化とは、既存のA〜Eの競争軸で競合を少し上回ることではなく、競合がまだ十分に競争していない新しい評価軸、すなわち「F軸」を生み出すことである。

図1 既存性能軸での改善とF軸創出の違い
F軸とは:F軸とは、競合と同じ性能軸で改善競争をするのではなく、顧客が自社を選ぶ新しい理由となる評価軸のことです。
同軸競争とは:同軸競争とは、競合と同じ評価軸の上で性能・価格・品質を改善し続ける競争を指します。
成熟市場では、この違いは特に重要になる。同じ評価軸で性能改善を続けても、競合も同じ方向に改良を進めるため、長期的な競争優位性につながりにくい。それでも技術的には「新しい」ため、研究開発テーマとして承認され続けることがある。このようなテーマが積み重なると、研究開発活動は続いているにもかかわらず、将来の成長につながらない「ゾンビテーマ」が増えていく。したがって研究開発テーマを考える第一歩は、「この技術は新しいか」だけではない。「このテーマによって新しいF軸をつくれるのか」を問うことである。
F軸は顧客の潜在課題から生まれる
では、新しいF軸はどこから見つければよいのだろうか。ここで重要になるのが、「ドリルを売るな、穴を売れ」という考え方である。顧客が必要としているのは必ずしもドリルという製品そのものではない。顧客が実現したいのは「穴を開ける」という課題解決である。製品そのものを起点に考えれば、研究開発者の関心は自然にドリルの性能改善へ向かう。軽量化、電池容量、耐久性、出力など、既存の評価軸を改善するテーマが中心になる。これは典型的な同軸競争である。
一方、顧客が実際に何をしようとしているのか、その行動まで視野を広げれば、新しい課題が見えてくる。例えば、カット野菜が普及する以前には、消費者は野菜を自分で切っていた。オンライン会議が一般化する以前には、人は会議のために移動していた。配膳ロボットが普及する以前には、人が料理を運んでいた。これらの行動は、当時の本人にとって必ずしも「困りごと」と認識されていない。しかし、別の解決策が登場すると、その行動自体をなくせることが分かる。そこで本稿では、潜在ニーズを「顧客が、解決策があると知らないから行っている行動」として捉える。

顧客に「何が欲しいですか」と尋ねれば、顧客は通常、現在知っている商品や技術を前提として回答する。特にプロの顧客ほど、既存商品の利用経験が豊富であり、現在の評価軸について具体的な要求を持っている。その要求への対応は重要であるが、それだけを研究開発テーマの源泉にすると、競合企業も同じ顧客から類似した要求を聞いている可能性が高い。そこで必要になるのが、顧客の「発言」だけでなく「行動」を見ることである。「何を改善してほしいか」ではなく、「なぜこの作業をしているのか」「なぜこの移動が必要なのか」「なぜ人がここで介在しているのか」と問い直し、「この行動そのものをなくせないか」と考える。F軸は、既存製品の性能表からではなく、こうした潜在課題の発見から生まれる可能性が高い。
「製品を作れる」だけでは高収益事業にならない、ではどうすれば?
結論:提案型事業を作ることが必要
F軸となる課題を見つけ、技術的に解決できれば、それで研究開発は成功なのだろうか。ここでも、もう一段階考える必要がある。例えば、ある会社が高熱伝導性樹脂を開発しているとする。樹脂組成を設計するコア技術があり、それを安定的に量産する基盤技術があり、熱伝導率を測定する周辺技術まで保有している。この段階でも、技術的には十分高度な商品を作ることはできる。
しかし、その材料を顧客へ渡し、「あとは御社の製品で評価してください」という販売方法では、価格主導権を持ちにくい。材料の最終的な価値が顧客側の評価によって初めて確定するからである。一方、その材料を実際に成形・組立し、顧客製品に近い条件で評価し、「この条件では従来品よりこれだけ性能が向上する」というところまで検証して提案できれば、商品の意味は大きく変わる。つまり、研究開発テーマには、材料や部品そのものを作るための技術だけではなく、顧客側の利用・評価領域に踏み込む「ユーザー評価系技術」まで含めて考える必要がある。

研究開発テーマの提案段階から、「どの潜在課題を解決するのか」「それによってどのようなF軸を形成するのか」「顧客の環境でどのように価値を評価するのか」「評価済みの状態でどのように提案するのか」までをセットとして考える。この一連の設計ができて初めて、研究開発テーマは単なる「技術開発」から「将来の事業をつくる投資候補」へと変わる。
AIの進化はR&Dマネジメントをどう変えるのか
結論:生成AIによってR&Dのボトルネックは「テーマを出すこと」から「テーマを選び、資源を配分すること」へ移ります。
AIによって「考える材料」が急増し人が追いついていない
生成AIの普及によって、研究開発テーマを考える方法は大きく変わり始めている。以前であれば、新規用途を探索するためには、技術者自身が論文や特許、市場情報を検索し、関連資料を読み込み、そこから仮説を組み立てる必要があった。顧客課題を調査する場合にも、対象業界を理解し、ヒアリングや文献調査を重ね、多くの情報を人間が整理していた。
現在では、生成AIに自社技術の情報や市場情報を与え、用途候補、潜在課題、競合、関連技術などを大量に探索させることができる。プロンプトやナレッジを整備し、一定の作業を半自動化すれば、従来よりはるかに短い時間で大量の資料を作成することも可能になった。しかし、資料の量が増えたことと、担当者がその内容を理解していることは同じではない。AIの出力があまりにも多いため、担当者自身が十分に読み込んでいなかったり、なぜそのテーマが有望なのかを自分の言葉で説明できなかったりする場合がある。AIが「考える材料」を大量に供給した結果、逆に人間側が情報量に圧倒される構図が生まれている。
「アイデア不足」から「選択能力のキャパ不足」へ
従来のAI活用では、予測、分析、自動化、意思決定支援などが中心であり、研究開発のアイデアそのものは人間が考えるという役割分担が一般的だった。生成AIの登場以降、この境界が変わっている。AIはアイデア生成、知識統合、仮説形成まで担うようになり、人間と共同して研究テーマそのものを考えるようになった。この変化によって、アイデアの生成コストは急速に低下している。そこで新しく生じるのが、選択の問題である。

アイデアの供給量が増えるほど、テーマ評価制度の重要性も増す。100の候補から10を選び、10から3を選び、限られた技術者、設備、資金をどこに投入するのか。その選択を間違えれば、AIによってアイデア生成が高速化しても、企業の成長にはつながらない。生成AI導入の成果を「いくつアイデアが出たか」「調査時間をどの程度短縮したか」だけで測ることには限界がある。本当に問われるのは、大量の候補から競争優位性のあるテーマを見抜き、適切に資源を配分できるかという能力である。
AI活用そのものも専門化・分業化するのは?
結論:AI活用を専門化・分業化するではなく、あくまで現場のAI活用であるべき
AIを使えば誰でも同じように高度なテーマ創出ができるとは限らない。論文・特許・市場情報を広く探索させる外部技術探索、与える視点や制約を変えるプロンプトエンジニアリング、大量の候補を比較検討させる推論、複数のAIに技術者・市場担当者・顧客・知財担当などの役割を持たせて議論させるマルチエージェント方式、自社の研究データによって専門化したモデルなど、AI活用自体が一つの専門的なR&D能力になっていく可能性がある。
しかし、テーマ創出だけを専門部署に集約し、「アイデアはAIや専門チームが考え、研究者は与えられたテーマを実行する」という分業が進みすぎれば、研究者自身が事業や顧客課題を考える機会を失う可能性がある。AI活用を高度化すると同時に、誰がテーマを考え、誰が評価し、誰が実行責任を持つのかという組織設計も必要になる。
AIは「狭い改善」より「探索空間を広げる」ために使う
AIの価値を最大化するには、既に定義された狭い問題だけを解かせるのではなく、人間がまだ認識していない探索空間を広げさせることが重要になる。例えば、「この接着剤の強度を5%上げる研究テーマを考えよ」という問いでは、探索範囲があらかじめ限定されている。これに対し、「接着という機能を使って、現在十分に解決されていない社会・産業上の課題を探せ」と問えば、AIは既存用途の延長を超えて、より広い産業、市場、顧客課題を探索できる。
A〜E軸上の改良テーマを高速で作るだけであれば、AIは同軸競争を高速化するだけになりかねない。むしろAIには、「この技術は他に何に使えるか」「将来どの業界でこの機能が必要になるか」「現在、人が仕方なく行っている行動は何か」「競合企業がまだ十分に対応していない課題は何か」といった問いを与え、探索空間そのものを拡大させる。その中から、人間がF軸となり得る仮説を評価する。この役割分担の方が、AI時代のR&Dテーマ創出には適している。
研究そのものが自律化する可能性
AIによる変化は、テーマのアイデア創出にとどまらない。研究のアイデアを考え、実験計画を立て、実験を行い、結果を評価し、論文を書くところまでAIが担う試みも現れている。

ここまで進むと、企業にとっての問題は、「AIで研究できるか」ではなくなる。どのテーマを研究させるのか。この意思決定の重要性がむしろ高まる。テーマ創出と研究実行のコストが下がるほど、テーマを選ぶガバナンスの重要性は高まる。
AIを使えること自体は競争優位ではなくなる
今後、生成AIやAIエージェントを研究開発に利用すること自体は、特殊な能力ではなくなっていくだろう。競合企業も同じAIを使う。したがって、AIを導入したという事実だけでは差別化にならない。その上で企業間の差になるのは、AIが出した候補をどのような基準で評価するか、有望テーマへどれだけ速く資源を移せるか、既存事業から反対されるテーマを育てられるか、F軸を見つけたテーマを知財やユーザー評価まで含めて事業化できるか、という人間と組織側の能力である。
なぜ経営の成長戦略がR&Dの資源配分につながらないのか
結論:経営目標がR&D目標・テーマ数・部門KPI・個人評価へ翻訳されていないためです。
「成長する」という経営意思と現場の行動は一致しているか
多くの企業は、IR資料や中期経営計画の中で「成長性の高い事業を生み出す」「高ROIC事業へ変革する」といった方針を掲げる。ところが、実際の事業部やR&D部門のマネジメントを見ると、必ずしもその経営方針と整合しているとは限らない。取締役会では「成長テーマをつくろう」と議論される。R&D部門長も「成長テーマをつくります」と応える。しかし現場へ戻ると、上司は「まず既存テーマを優先しよう」と判断する。つまり、「経営方針 → 取締役会 → R&D部門長 → 現場」という伝達は存在していても、「経営方針 → 資源配分」への変換が起きていないのである。

ここでいう資源とは、研究開発費だけではない。研究者の時間、設備、試験機、外部委託費、顧客調査の工数、知財活動なども含まれる。成長テーマを増やしたいのであれば、既存テーマに100%使われていた人員と時間の一部を、新規用途探索や潜在課題調査、F軸仮説の検討へ移さなければならない。
現行テーマ群で本当に目標を達成できるのか
どの程度の資源を新しいテーマ創出へ振り向けるべきかを考えるには、「現在保有している研究開発テーマで、将来の利益目標を達成できるのか」を定量的に把握する必要がある。例えば、企業が将来100億円の利益を目標としている一方、既存事業と現在のR&Dテーマから見込まれる利益が70億円だったとすれば、30億円のギャップがある。この30億円を埋めるためには、新しいテーマが必要になる。
そこで、各テーマについて「テーマが実現した場合に期待される利益 × 成功確率」を計算し、その総和をR&Dポートフォリオ全体の期待値として把握する。式として表せば、「R&Dポートフォリオの期待利益 = Σ(各テーマの想定利益 × 各テーマの成功確率)」となる。

成功確率を無視すると、R&Dの価値を過大評価する
研究開発には不確実性がある。既存技術を既存顧客へ展開するテーマと、新技術を使って新市場へ進出するテーマでは、当然ながら成功確率が異なる。担当者が「このテーマは将来10億円の利益を生む」と主張していても、成功確率が20%なら期待値は2億円である。
一方、5億円の利益しか見込めないテーマでも成功確率が90%なら、期待値は4.5億円になる。これは高リスクテーマを排除すべきだという意味ではない。低確率・高リターンのテーマと、高確率・中リターンのテーマを組み合わせながら、ポートフォリオ全体としてどの程度の期待値があるのかを把握することが重要である。
目標とのギャップが現場から見えなければ、現状維持が合理的になる
経営側がR&Dポートフォリオの期待値を把握したとしても、その情報が現場へ伝わらなければ、研究者やラインマネージャーの行動は変わらない。現場の上司が「今のテーマで目標を達成できるのか分からない」状態に置かれていれば、部下から「既存テーマと新規テーマのどちらを優先しますか」と聞かれたとき、既存テーマを優先する可能性が高い。既存テーマには顧客との約束、予算、マイルストーンなど具体的な責任があるからである。
成長テーマが生まれない理由を、単純に「研究者が挑戦しないから」「マネージャーが保守的だから」と説明するのは適切ではない。必要な情報と評価基準を与えずに、現場だけに挑戦を求めても行動は変わらない。成長テーマを必要とする理由を定量的に示すこと自体が、ガバナンスの一部なのである。
テーマごとのキャッシュフローまで描く
R&Dテーマの価値を評価する際には、将来利益だけでなく、その利益を生み出すまでにどのような投資が必要なのかも把握する必要がある。各テーマについて、F軸創出、ユーザー評価技術、マーケティング、設備投資などの投資項目と、将来の売上・利益を時間軸上に並べてキャッシュフローを予測する。

研究段階では正確な予測はできない。しかし、正確に当てることよりも、担当者に事業化までの時間と投資の構造を考えさせることに意味がある。「研究テーマだからお金の話はまだ早い」と考えるのではなく、早い段階だからこそ、このテーマを何年続けるのか、どこまで投資するのか、どの時点から市場検証へ移るのかという仮説を持たせる必要がある。
個別テーマだけでなく、会社全体として足し上げる
各テーマのキャッシュフローを個別に見るだけでなく、会社全体として合計する必要がある。個々のテーマがそれなりに合理的でも、ポートフォリオ全体として短期改善テーマに偏っていれば、将来の利益成長は生まれない。逆に、野心的な大型テーマばかりで成功確率が低ければ、将来利益の期待値が不足する可能性もある。つまり経営が見るべきなのは、「良いテーマがあるか」ではなく、「テーマ群として目標利益を生み出せる構成になっているか」なのである。
ガバナンスが弱い企業では「どこまでやればよいか」が曖昧になる
R&D目標ギャップの計算が曖昧で、取締役レベルでも十分に把握されなければ、部門KPIが設定されず、個人レベルの業績目標にも落ちない。例えば、顧客課題を何件調査するのか、競合調査をどの程度行うのか、F軸仮説を何件つくるのか、新規テーマを何件提案するのか、といった具体的な活動量が定義されない。その結果、担当者は「どこまでやればよいのか」が分からないままになる。テーマ創出を精神論にせず、「経営目標 → R&D目標 → 部門KPI → 個人業績」までつなげる必要がある。

低収益事業は、R&D業務の結果として生まれている可能性がある
事業の低収益性を「事業部の営業力不足」だけで説明することにも疑問がある。「従来のままのR&D業務 → 儲からないテーマ → 儲からない事業」という因果関係が存在する可能性がある。テーマ創出時点でF軸がなく、競合と同じ性能軸上の改良しか行っていなければ、商品化後に価格競争へ巻き込まれる可能性は高い。低収益事業の原因の一部は、商品発売後ではなく、数年前の研究開発テーマ創出・評価段階ですでに形成されている可能性がある。
事業部自治が強すぎると、全社最適の資源配分ができない
事業部制は事業運営には有効だが、成長投資の再配分という観点では問題を生む場合がある。各事業部が自事業の利益責任を負っていれば、自部門の資源を他部門の将来テーマへ提供するインセンティブは弱い。さらに、CEO、CTO、CFOなどが事業部のR&Dに介入しようとしても、「事業部のことは事業部で決める」という見えない壁が存在し、口出ししにくいこともある。ガバナンスとは、現場を細かく管理することではない。会社全体の成長のために、必要なときに既存部門の境界を越えて資源配分を変更できることなのである。
テーマ創出のアクセルを踏むかどうかは、経営が決める
R&Dの現場だけに「もっと成長テーマを出してほしい」と求めることには限界がある。まず経営側が、現在のR&Dポートフォリオの期待値はどの程度か、目標利益との差はいくらか、その差を埋めるためには新しいテーマがどの程度必要かを把握する。そのうえで、新規テーマ創出へどれだけ人と時間を振り向けるかを決める必要がある。R&Dガバナンスとは、「新しいテーマを増やす仕組み」ではなく、「経営目標から逆算して、テーマ創出・継続・中止と資源配分を決める仕組み」と捉える方が正確である。
処方箋1:R&Dガバナンスを診断する
R&Dの低収益化には、一つの原因だけが存在するとは限らない。良いテーマが出てこない会社もあれば、テーマは出ているが評価制度によって落としている会社もある。逆に、競争優位性の乏しいテーマを長期間継続している会社もある。したがって、テーマ創出、テーマ評価、ステージゲート、知財、組織・人材までを一連のシステムとして診断し、R&Dのどこで成長テーマが止まっているのかを特定する必要がある。
既存テーマで手一杯になると、次の成長テーマが生まれない
既存事業の売上が頭打ちとなり、利益低下も予想されているのに、「既存テーマで手一杯で、新しいものを手掛ける時間がない」という状態は珍しくない。既存テーマには納期や顧客対応といった明確な仕事がある。一方、将来テーマの探索には即時の成果がない。
したがって、特別な仕組みがなければ、日常業務は自然に既存テーマへ集中する。必要なのは、単に「アイデアを増やす」ことではない。経営者が「このテーマなら、人と資金を投入してみよう」と判断できるだけの競争優位性、市場仮説、投資規模、実行計画を備えたテーマをつくることである。
R&D診断の第一歩は「期待値」を計算できているか
第一の診断項目は、期待値総額とR&D目標ギャップである。各テーマについて「想定利益 × 成功確率」を求め、その総和をR&Dポートフォリオの期待値として計算する。そして、その期待値が将来の目標利益に対して足りているかを確認する。しかし、計算式が存在するだけでは十分ではない。より重要なのは、算出結果に基づいて実際にマネジメントしているかである。期待利益が不足していることが判明したにもかかわらず、人員配置もテーマ創出活動も変わらなければ、計算に意味はない。

テーマ評価がきちんとできているか?
技術の独自性と、事業としての競争優位性は同じではない。技術的に非常に新しくても、その技術を使う顧客にとって価値が小さければ、高収益事業にはつながらない可能性がある。逆に、技術そのものの新規性は限定的でも、顧客にとって重要な潜在課題を解決し、競合が提供できない価値を実現できれば、競争優位性を持つ可能性がある。

研究開発テーマの会議では、「この技術は新しい」「特許が取れそうだ」「難しい技術だから価値がある」といった議論になりやすい。しかし経営から見れば、問うべきなのは、その独自性が顧客価値や競争優位性につながるのかである。
「止める仕組み」があるかを見る
テーマ評価には、良いテーマを選ぶことだけではなく、継続すべきでないテーマを止める役割がある。研究開発テーマは、一度正式テーマとして承認されると、担当者、予算、過去の成果が積み重なり、「ここまでやったのだから続けよう」という判断が生まれやすい。しかし、競争優位性がなくなったテーマにさらに資源を投入することは機会費用を発生させる。R&Dガバナンス診断では、テーマを始める仕組み以上に、テーマを止められる仕組みがあるかを見る必要がある。

ステージゲートは「あるか」ではなく「機能しているか」
問題は、評価表が存在するかどうかではない。20項目の評価表があっても、最終的にすべてのテーマが通過しているのであれば、ゲートとして機能しているとは言いにくい。逆に、初期段階の探索テーマに対して、5年後の売上や顧客獲得を厳格に要求しすぎれば、本来育てるべきテーマまで落とす可能性がある。
診断では、誰が審査しているのか、どの段階で何を問うのか、研究テーマと既存事業テーマに同じ基準を当てていないか、競争優位性が判断の中心に置かれているか、停止判断が実際に行われているかまで見る必要がある。
テーマ創出を「個人技」にしていないか
「新しいアイデアを考えてください」という指示だけがあり、具体的に何を調べ、どの順番で検討するのかが定義されていなければ、テーマ創出能力は個人差に大きく依存する。必要なのは、誰が担当しても一定水準の探索ができるプロセスである。生成AIは、この標準化との相性がよい。ただし、標準化すべきなのはAI操作だけではなく、何を調べ、何を比較し、何をもってテーマ候補とするかという思考プロセスそのものである。

知財部門も「守り」だけでは十分ではない
知財部門は、発明の発掘、出願管理、期限管理、中間処理だけでなく、テーマ創出の早い段階から競合の権利領域、技術的な空白、自社が権利化すべき価値軸、用途・評価方法・サービスまで含めた権利形成を考える必要がある。研究開発の最終段階で「出願を依頼される部署」ではなく、テーマ創出・評価段階から競争優位性の形成に関与するインテリジェンス機能へ広がる必要がある。

診断すべきなのは「制度」ではなく因果関係である
重要なのは、各制度を独立したチェック項目として見るのではなく、その間の因果関係を見ることである。例えば、「潜在課題調査がない → F軸が生まれない → 同軸競争テーマが増える → テーマ評価でも競争優位性を問わない → テーマが長期継続する → 類似商品が市場に出る → 価格競争になる」という構造が存在する可能性がある。R&D診断の目的は、点数を付けることではない。自社の成長テーマが「どこで生まれなくなり、どこで止まり、どこでゾンビ化しているのか」を特定することにある。R&D変革とは一つの制度を導入することではなく、テーマ創出から評価、資源配分、人事評価までを一つのシステムとしてつなぎ直すことなのである。
AIを前提としたR&Dテーマ創出へ
AIを前提としたテーマ創出では、「技術棚卸し → 用途探索 → 顧客課題探索 → 競合調査 → F軸仮説 → 検証」という一連の流れを明確にし、その各工程でAIを使うことで、探索の速度と範囲を大きく広げる。
テーマ創出の課題は「方法」から「評価」へ移っている
生成AIが登場する以前、新規テーマ創出には大きな労力が必要だった。用途探索、潜在課題発掘、競合調査、IPランドスケープ、知財情報活用など、いずれも人間が検索し、読み込み、整理する必要があった。AI活用が進むことで、この労力問題は大きく軽減される一方、テーマを量産できるようになった結果、人間の評価・実行能力が新たな課題として浮上する。

テーマ創出は専門部署だけに任せない
AI活用やテーマ創出を専門部署だけに集中させると、現場の技術者が「なぜこの顧客課題が重要なのか」「なぜこの用途が面白いのか」「どの競合と比較すべきなのか」を考える経験を失う。AI時代に必要なのは、テーマ創出を中央集権化することではなく、多くの技術者がAIを使って探索し、自分で候補を評価する経験を積むことである。
テーマ創出には二つの入口がある
一つは用途探索型で、「自社技術の確認・棚卸し → 将来用途の探索 → 顧客課題の調査 → 競合調査 → F軸仮説の考案」と進める。もう一つは顧客潜在ニーズ型で、「潜在課題発掘 → 顧客課題の調査 → 競合調査 → 自社技術の確認・棚卸し → F軸仮説の考案」と進める。

技術起点か市場起点かを二者択一で考える必要はない。重要なのは、技術と課題の間を何度も往復することである。
技術棚卸しは「完璧に書くこと」が目的ではない
AIを前提にすると、技術棚卸しの考え方も変わる。従来は、自社技術を第三者が読んでも理解できるように、技術名、機能、関連特許、技術分類などを詳細に整理することが重視されてきた。しかしAIが技術の意味をかなり補完・解釈できるのであれば、完全な分類体系を作る前でも探索を始められる。重要なのは、データベースを美しく完成させることではない。自社が何をできるのかを、用途探索に使える状態にすることである。
技術を「組み合わせるだけ」ではテーマにならない
「技術Aと技術Bを組み合わせたら何かできないか」という発想だけでは、事業テーマにはならない。技術は課題を解決するための手段だからである。「技術A × 技術B × 顧客課題」までつなげて初めて意味が生まれる。技術として新しい組み合わせであっても、顧客にとって既存評価軸上の小さな改善にすぎなければ、同軸競争から抜け出せない。
「技術×用途」と「技術×課題」を往復する
材料・化学メーカーでは「この機能はどの用途で使えるか」から「その業界ではどのような課題があるか」へ展開しやすい。一方、機械・電気メーカーでは「顧客にこの課題がある」から「解決するにはどのような技術が必要か」へ展開できる。AIの価値は、一回で正解を出すことではなく、技術と市場、技術と課題の間を高速に往復できることにある。

顧客だけでなく「顧客の顧客」まで見る
B2B企業のテーマ創出では、直接顧客だけを見ていると将来課題を見誤ることがある。直接顧客の先には顧客の顧客があり、その先にはさらにセットメーカーや社会・産業トレンドが存在する。

直接顧客が現在要求している性能は、すでに競合にも共有されている可能性が高い。一方、「顧客の顧客が今後どう変わるか」まで見れば、直接顧客自身がまだ明確に認識していない将来課題を先取りできる。
潜在ニーズは「聞く」のではなく「先取りする」
潜在ニーズは「顧客課題の先取り」として捉え、現場観察、生成AI、特許情報、現物分解、ディスカッション、アカデミア・専門家などを調査手段として用いる。顧客に「将来どんな画期的商品が必要ですか」と直接尋ねても、潜在課題は出にくい。研究開発側が、顧客現場の行動、技術変化、競合投資、サプライチェーンの変化、社会トレンドなどから課題を仮説化する必要がある。

テーマ創出は直線的なプロセスではなく、「仮説 → 調査 → 否定 → 再探索」を繰り返すプロセスである。
AIの役割は「テーマを決めること」ではない
AIは技術棚卸し、用途探索、顧客課題調査、競合分析、特許調査、サプライチェーン分析、F軸候補の生成など、テーマ創出のほぼすべての工程に利用できる。しかし、最終的に「このF軸に賭けるか」を決めるのは人間である。AIを前提としたテーマ創出とは、AIにテーマを考えてもらう仕組みではなく、AIによって探索空間を広げ、人間がより多くの選択肢からF軸を選び取る仕組みと考えた方がよい。
テーマ評価と資源配分をどう変えるか
ROICスプレッドをそのまま現場に下ろしてはいけない
「ROICスプレッドを高める」という要求をそのまま研究開発の現場へ下ろしても、技術者にとっては具体的な行動に変換しにくい。売上を増やす、原価を下げる、在庫を減らす、といった短期的な改善策には分解しやすいが、これだけを徹底すると、中長期テーマが減り、短期テーマに偏る危険がある。そこで、「ROICスプレッドを向上させる ≒ 事業の競争優位性を向上させる ≒ F軸をつくる」と読み替える。

研究開発部門の役割は、必ずしも短期的な売上を直接増やすことではない。むしろ、将来の事業収益性を高めるために、顧客が自社を選ぶ理由をつくることにある。R&DへROICを落とす際には、「今期の売上をいくら増やしたか」だけを見るのではなく、「将来、価格競争に巻き込まれない競争優位性をつくったか」を評価する必要がある。
ROIC経営をR&Dパイプラインへ変換する
将来の目標利益と現状利益の間にギャップがある場合、その差を新商品・新事業によって埋める必要がある。しかし、新商品が一つ必要だからといって、研究テーマを一つ立てればよいわけではない。テーマは途中で失敗する。したがって、「テーマ候補 → テーマ → 商品」という各段階で、一定の脱落が起こる前提で考えなければならない。

右側のR&D目標から左へ逆算すると、どの程度の確率で事業化されるのか、そのためには何件の正式テーマが必要か、正式テーマを作るために何件のテーマ候補が必要か、テーマ候補を作るために用途探索や潜在課題調査をどの程度行う必要があるか、という問いになる。これまで「新しいテーマをもっと出そう」という定性的な要求だったものを、「年間何件探索する必要があるか」という業務量に変換できるのである。
テーマ創出件数まで経営目標から逆算する
例えば、5年後に新規事業から50億円の利益を生み出す必要があり、一つの成功事業が平均10億円の利益を生むなら、5つの成功事業が必要になる。正式テーマから事業化する確率が20%なら25件程度の正式テーマ、テーマ候補から正式テーマになる確率が25%なら100件程度のテーマ候補が必要になる。重要なのは、正確な数字を最初から持つことではない。自社の移行確率を計測し始めることである。数年間データを蓄積すれば、「用途探索を100件行うと何件テーマになるか」「ステージ2から3へ進む確率は何%か」「どの段階で最もテーマが落ちるか」が見えるようになる。
ステージゲートは一種類でよいのか
既存事業に近い開発テーマと、まだどの事業部にも属さない研究・新規事業テーマでは、評価すべき内容が異なる。新しい研究テーマの初期段階で「顧客は誰か」「売上はいくらか」「既存事業部は引き取るか」を強く求めれば、既存事業に近いテーマばかりが残る可能性がある。一方、事業部へ移管する直前のテーマでは、売上、量産、顧客評価、供給体制などを厳しく見る必要がある。

提案者中心主義のステージゲートとは:提案者中心主義のステージゲートとは、テーマを初期段階から「売れるか」で落とすのではなく、競争優位性の仮説を段階的に検証しながら育てる評価方式です。
共通して問うべき中心軸は、競争優位性があるか、である。ただし初期段階では仮説として評価し、後期段階では顧客現場での実証によって確認する。
F軸は仮説から「実際に選ばれた理由」へ進化する
ゲート1では、顧客課題と現在の代替手段を調査し、自社技術を使えば顧客が選ぶ理由になり得る差別化仮説を言語化する。ゲート2では、特許、製品仕様、競合製品、価格帯などをさらに調査し、F軸を試作品で検証する項目まで落とす。ゲート3では顧客候補に試作品案を示し、ゲート4では実際の社外ユーザー環境で価値を確認し、ゲート5では有償提供や実際の商談によって顧客が本当に支払い、継続利用するかまで確認する。最終的にF軸は、「選ばれそうな理由」から「実際に選ばれた理由」へ変わる。
知財、ユーザー評価、提案型ビジネスも同時に育てる
各ゲートで同時並行に、知財形成、ユーザー評価系の構築、提案型ビジネスの構築を進める。技術は完成したが特許で守れない、顧客環境でどう評価すればよいか分からない、営業がどう提案すればよいか分からないという状態を避けるためである。研究開発の完成とは、材料や製品ができた状態ではない。顧客に価値を説明し、評価し、選んでもらえる状態まで作ることなのである。
ステージゲートは「落とす仕組み」だけではない
初期段階では「ゆるく何でも実施可能」とし、途中でテーマを棚入れすることも可能にする。新しいテーマを提案した結果、顧客課題が弱かった、競合がすでに強かった、F軸が成立しなかったと分かれば、そこでやめればよい。むしろ、早い段階でそれを明らかにしたことには価値がある。テーマ評価制度には、良いテーマを進める機能と、悪いテーマを早くやめる機能の両方が必要になる。
社内事業化だけを成功としない
新規事業が育ったとしても、必ずしも自社で事業化することが最善とは限らない。一定規模・一定収益性に到達した段階で、社内事業化、事業売却、スピンアウト、MBO、撤退などを選択できる構造を持つべきである。

事業ステージが違えば、求める成果も変える
収益性(ROICスプレッド)と売上高成長率によって、事業開始、成長ステージ、金のなる木、問題児、撤退候補といった事業ステージを捉え、ステージごとにマネジメントを変える必要がある。

資源配分を変えたいのであれば、評価制度も変えなければならない。
テーマ評価制度を変えるだけでは人は動かない
テーマ創出や潜在ニーズ探索を「重要です」と説明するだけでは、既存業務が忙しければ後回しになる。したがって、これらの活動を業績評価の対象にする必要がある。成果だけを評価するのではなく、「結果ではなくプロセスを評価する」「計測可能にする」「報告書などの成果物で確認する」「マニュアルと時間を与えれば実行できる仕事にする」という設計が必要になる。
提案者中心主義のステージゲート
前章では、R&Dパイプラインとステージゲートを、経営目標から逆算した資源配分の仕組みとして捉えた。しかし、制度を設けるだけでは十分ではない。むしろ重要なのは、そのステージゲートが提案者の行動をどの方向へ誘導しているかである。
「本当に売れるのか」という質問がテーマを小さくする
ステージゲートやテーマ評価会議では、「本当に売れるのか」「本当にできるのか」「失敗したらどうするのか」「責任を取れるのか」といった質問が出ることが多い。これらの質問自体は合理的に見えるが、結果としてテーマを潰す方向に働くことがある。提案者は一度このような審査を経験すると、次回から審査者の質問を予想する。「売れるのか」と聞かれるなら、すでに顧客がいる市場を選ぶ。「できるのか」と聞かれるなら、すでに自社が持っている技術だけで実現できるテーマを選ぶ。「失敗しないのか」と聞かれるなら、技術的不確実性の低いテーマを選ぶ。すると、審査者が直接「改良テーマを出せ」と言っていなくても、提案者は自然に「既存顧客 × 既存技術 × 既存事業」の範囲でテーマを考えるようになる。確実性を求めるほど、既存軸上の改良テーマが有利になるのである。
審査者の質問は、提案者への「暗黙の指示」になる
審査制度は、社員に対するメッセージでもある。審査者が何を聞くかによって、社員は「この会社はどういうテーマを評価するのか」を学習する。IRでは「新規事業を創出する」「非連続成長を目指す」と書かれていても、実際のテーマ審査で「今の顧客に売れるのか」「今の工場で作れるのか」「今の営業部門で販売できるのか」ばかり問われれば、社員が受け取るメッセージは「今の会社の枠内で考えなさい」となる。
審査者は「役職が上だから」選ぶのではない
管理職として優秀であることと、新規テーマを評価できることは同じではない。既存事業を安定的に運営する能力が高い管理職ほど、既存顧客、既存設備、既存販売チャネル、既存事業の利益責任を基準にテーマを見る可能性がある。これは既存事業テーマを評価する際には合理的であるが、まだ既存事業に属さないテーマを同じ人物、同じ基準で評価すれば、「事業部で受け取れないからやめる」という結論になりやすい。

既存事業部への忖度がテーマの探索範囲を狭める
新規テーマの出口を「既存事業部への移管」だけにすると、提案者はテーマを考える段階から「このテーマをどの事業部が引き取るだろうか」と考える。すると、既存事業部が嫌がりそうなテーマは最初から提案されにくくなる。この構造を放置すると、会社の既存事業構造が将来の事業構造を決めてしまう。
テーマの初期段階では「売れる証拠」ではなく「仮説の質」を見る
新規テーマの初期段階で評価すべきなのは、売上の確実性ではなく仮説の質である。ゲート1では、顧客に未解決課題が存在しそうか、現在どのような代替手段を使っているか、その代替手段の何が不足しているか、自社技術ならどのようなF軸を形成できそうかを見る。ゲート1で問うべきなのは、「本当に売れるのか」ではなく、「売れる可能性を検証する価値のある仮説か」である。ゲート1では仮説として魅力があるか、ゲート2では競合と比較してF軸が成立しそうか、ゲート3では顧客候補が価値を感じるか、ゲート4では実使用環境で価値が出るか、ゲート5では実際に顧客が支払うか、というように問いを変えていく。
提案者中心主義とは「甘く審査する」ことではない
提案者中心主義は、どんなテーマでも通すという意味ではない。むしろ審査は厳しくてよい。ただし、厳しく評価する対象を、「既存会社で今すぐ実行できるか」ではなく、「競争優位性を形成できる仮説か」に置く。そして、テーマが進むほど証拠を厳しくする。審査者の役割も、「穴を探して落とす人」ではなく、「次のゲートまでに、何を確認すればこのテーマの価値が判断できるかを問い直す人」へ変わる。
「棚入れ」を失敗扱いしない
新規テーマを探索すれば、多くは事業化しない。ゲートを進める中で、顧客課題がそれほど大きくなかった、競合がすでに優位だった、F軸と思っていた価値が顧客に響かなかったと分かることは正常な探索結果である。提案したテーマを途中で止めると「失敗した人」と評価される会社では、社員は確実なテーマしか提案しなくなる。逆に、「仮説を立て、検証し、成立しないことを早く確認できた」ことも評価されるなら、探索範囲は広がる。テーマを止められることが、新しいテーマを出せる条件なのである。
「会社が事業化できるものだけ」を求めない
新しいテーマを考える時点で、「この会社で事業化できるか」を必須条件にすると、将来の選択肢を現在の企業能力で制限してしまう。しかし、新規テーマが育つ間には、新技術の獲得、人材採用、M&A、外部パートナーとの連携、新しい販売チャネルの構築なども可能である。したがってテーマ初期では、「自社で今できるか」ではなく、「将来価値を生み得るか」を先に見る方が合理的である。
出口を複数用意すると探索範囲が広がる
育ったテーマが自社に合わなかった場合に必要になるのが、複数のEXITである。社内事業化、事業売却、スピンアウト、MBO、撤退などを選択肢として持つ。

こうした出口を持てば、テーマ提案者は「今の事業部で扱えるか」だけを考える必要がなくなり、探索範囲を広げられる。
提案者中心主義は「人材開発」の問題でもある
ステージゲートを変えるには、制度表を変更するだけでは足りない。例えば評価表から「5年後の売上」を削除したとしても、審査会で役員が口頭で「結局いくら売れるの」と聞けば、制度は何も変わっていない。審査者側が、初期テーマには不確実性があること、F軸は最初から証明できないこと、仮説を段階的に検証すること、テーマ中止も探索成果であること、既存事業部への移管だけが出口ではないことを理解する必要がある。
ステージゲートは「選別装置」から「育成装置」へ
AIによって大量のテーマ候補を生成できる時代には、ステージゲートの役割を変える必要がある。最初から完成度の高いテーマだけを求めるのではなく、「仮説を出す → 調査する → 試す → 顧客に見せる → 見直す → 必要ならやめる」という学習サイクルを支援する。ステージゲートを、「落とすための門」ではなく、「不確実性を一段ずつ減らしてテーマを育てる仕組み」へ変える。このとき審査者が問うべきなのは、「絶対売れるのか」ではない。「次に何を確認すれば、このテーマを進める価値があるか判断できるのか」である。
R&Dを成長投資に変える人事評価とガバナンス
「重要な仕事」と「評価される仕事」がずれていないか
成熟事業では、既存商品の改良だけでなく、F軸の再設定や新規用途探索が必要になる。しかし、F軸設定や新規用途探索が正式な業務・業績として認められていなければ、社員はそこに時間を使わない。既存商品の改良、同軸競争上の開発、納期遵守などだけが目標管理制度に入っていれば、用途探索や顧客課題調査へ時間を使っても評価されない。ここで重要なのは、社員の意識を問題にしないことである。「技術者が新しいテーマを考えたがらない」のではなく、「新しいテーマを考えることが正式な仕事になっていない」可能性を疑うべきである。
事業ステージによってR&Dの成果指標を変える
事業をROICスプレッドと売上高成長率で捉え、事業開始、成長ステージ、金のなる木、問題児、撤退候補といったステージに分ける。そして、事業ステージによって営業やR&Dに求める成果とプロセスを変える。

新規用途探索へ人を振り向けながら、その人を売上だけで評価することは矛盾している。資源配分を変えたいのであれば、評価制度も変えなければならない。
最終成果ではなく「途中のプロセス」を評価する
新規テーマには不確実性がある。「新規事業を1件立ち上げる」という目標を技術者個人に与えても、実際に事業化されるまで数年かかり、市場環境や経営判断など本人だけではコントロールできない要因も多い。そこで必要になるのが、最終結果ではなく、その結果につながるプロセスを評価するという考え方である。業績評価の対象にする仕事は、結果ではなくプロセスであること、計測できること、報告書などの成果物として確認できること、マニュアルと時間を与えれば実行可能であること、という条件を満たすように設計する。
用途探索・顧客課題調査・競合調査を正式な業績目標にする
用途探索、顧客課題調査、競合調査などにそれぞれ点数を設定し、例えば「今期3点を取る」といった形で個人目標へ落とす。そして報告書を提出させれば、業績評価が可能になる。

この場合、社員に求めているのは「必ず新規事業を成功させろ」ではなく、「新規事業につながる探索プロセスを、今期これだけ実行せよ」という目標である。これなら、本人がコントロール可能であり、測定できる。
「テーマにならなかった探索」も評価する
用途探索を10件行っても、すべてが有望テーマになるわけではない。顧客課題を調査した結果、市場が小さかった、競合がすでに強かった、F軸を作れなかったという結論になることもある。しかし、それは探索として失敗ではない。むしろ、そのテーマに数年間投資する前に「やらない方がよい」と分かったのであれば価値がある。テーマになった件数だけを評価すれば、社員は無理にテーマ化しようとする。一方、適切な調査プロセスを評価すれば、「これはやらない」という判断もできる。
事業化まで評価されない制度では長期テーマは育たない
10年後の事業を目指す研究テーマで、「売上が立ったら評価する」という制度では、研究者は何年も評価されない。その一方、既存商品の改良テーマは毎年売上やコスト削減効果を示しやすい。この制度を放置すると、人事評価そのものが短期テーマへ人を誘導する。したがって中長期テーマでは、潜在課題を発見した、F軸仮説を設定した、有望用途を特定した、競合調査を完了した、ユーザー評価系を構築した、重要な知財を形成した、といった中間成果を正式な成果として扱う必要がある。
個人だけでなく部門長・取締役レベルの評価も変える
人事評価を技術者だけ変えても十分ではない。技術者に「用途探索をしなさい」と求めても、上司が短期売上や納期だけで評価されていれば、「そんなことより今のテーマを進めてほしい」と指示する可能性がある。したがって、個人評価と同時に、部門長や取締役レベルの評価も変える必要がある。例えば、新規テーマ比率、中長期テーマ比率、重点領域への人員配分率、テーマ中止・入替率などを指標候補とし、「良いテーマをつくったか」だけでなく、「良いテーマへ資源を動かしたか」まで評価する。資源配分そのものが管理職の業績になるようにするのである。
評価制度を変えることは、時間配分を変えることである
人事評価は、単に賞与額を決める制度ではない。実際には、社員がどこへ時間を使うかを決める制度である。用途探索が年間目標として設定され、その報告書が評価対象になれば、管理職はそのための時間を確保する必要がある。逆に、用途探索を目標に入れず、「暇なときにやってください」とすれば、ほぼ確実に後回しになる。R&Dを成長投資へ変える際には、「テーマ創出の方法を教える → 業務として定義する → 時間を与える → 成果物を定義する → 評価する」というところまで設計する必要がある。
AI時代だからこそ、人材開発が重要になる
AIが用途候補やテーマ案を大量に生成できるようになれば、「AIに考えさせればよい」と思うかもしれない。しかし、テーマ創出の教育はAI時代だからこそ必要である。AIの出力を評価し、実行するのは人間だからである。テーマ創出の経験がない人が、AIの出してきた100件のテーマ候補を見ても、どれが有望なのか判断できない。顧客課題を調査した経験がない人は、AIが示す課題が本当に重要なのか分からない。競合調査をした経験がなければ、AIの比較が十分か判断できない。F軸を考えた経験がなければ、単なる性能改善と競争軸の転換を区別できない。「AIがテーマを出すから、人間のテーマ創出教育は不要になる」のではない。逆に、「AIが大量のテーマを出すからこそ、人間側の評価経験が必要になる」のである。
「人の評価」と「テーマの評価」を連動させる
本稿全体を通じて二種類の「評価」が登場した。一つはテーマを評価すること、もう一つはそのテーマを創出・評価・実行する人を評価することである。この二つは切り離せない。ステージゲートで「F軸を重視する」と決めても、社員の人事評価が既存テーマの売上だけなら、F軸を探す人はいなくなる。逆に、人事評価で「新しいテーマを出せ」と求めても、ステージゲートが「確実に売れるテーマ」しか通さなければ、社員は同軸競争テーマを出す。したがって、テーマ評価制度と人事評価制度は一体で設計する必要がある。
制度は企業文化に合わせて実装する
人事評価制度を一気に全面変更すればよいという話でもない。年間3件の用途探索報告書を義務化する企業もあれば、まずは一部の研究グループだけで試す企業もある。賞与に直結させる会社もあれば、最初は目標管理上の加点だけにする会社もある。制度の細部は企業ごとに異なってよい。しかし、変えてはいけない原則がある。それは、会社が重要だと言っている活動が、社員にとって正式な仕事として認識されること、である。
AI時代のR&D競争力は「テーマを出す力」から「選び、実行する組織能力」へ
本稿では、R&D費用を成長投資へ変えるという問題を、テーマ創出だけではなく、R&Dガバナンス全体の問題として考えてきた。出発点となったのはF軸である。競合と同じA〜E軸の性能改善を続けるだけでは、長期的な競争優位性をつくりにくい。顧客がまだ十分に認識していない潜在課題を見つけ、新しい評価軸であるF軸を形成する必要がある。
生成AIは、この探索を大幅に高速化する。技術棚卸し、用途探索、顧客課題調査、競合調査、特許調査まで、従来は大量の人手が必要だった作業をAIが支援できる。しかし、それによってR&Dの問題がなくなるわけではない。むしろ問題は、「良いアイデアが出ない」から、「大量のアイデアから何を選ぶか分からない」へ移る。テーマ創出コストが下がるほど、テーマ評価の重要性は高まる。
そして評価されたテーマに人員と資金を移すためには、R&Dパイプライン、ステージゲート、EXIT、部門評価、人事評価までを一つの仕組みとして設計する必要がある。本稿で示した構造をまとめると、「経営目標 → 目標利益と期待利益のギャップ → R&D目標 → 必要テーマ数 → テーマ創出活動 → F軸による競争優位性評価 → ステージゲート → 事業化またはEXIT → 部門・個人評価 → 次のテーマ創出」という循環になる。
ここで重要なのは、テーマ創出を研究者個人の創造性に依存させないことである。誰が担当しても一定水準の探索ができる方法を持ち、AIを使って探索空間を広げ、F軸を評価し、良いテーマへ資源を動かす。同時に、成立しないテーマは早く棚入れし、その判断も適切な探索成果として評価する。この仕組みができれば、研究開発費の意味も変わる。単に「今年いくらR&D費を使ったか」を見るのではなく、「将来利益を生み出すテーマ群をどの程度形成できているか」を見ることができる。
そしてAI時代に企業間の差になるのは、AIを使っているかどうかではない。AIの出した可能性を、見抜き、選び、育て、止め、資源を動かせる組織であるかどうかである。R&Dガバナンスとは、そのための仕組みである。そして最終的に、R&D費用を「費用」のままにするか「成長投資」に変えるかを決めるのは、AIではない。経営とR&Dが、テーマと人をどのように評価し、どこへ資源を配分するかという組織の意思決定なのである。
※本レポートは、R&Dテーマ創出・評価・資源配分・ステージゲート・人事評価を一体として捉えるための論考です。



