ROIC経営と生成AIで変わる知財部門ーポストIPランドスケープ時代の事業貢献型知財とは?

知財部門はいま、二つの大きな波を同時に乗りこなす必要があります。

一つは、ROIC経営を研究開発や知財にも当てはめ、投資に対してどのような成果を生み出しているのかを問う流れです。もう一つは、生成AIによって調査、分析、文書作成、アイデア創出などの知財業務そのものが大きく変わろうとしている流れです。

ROIC経営の観点からは、「知財部門は事業成長にどう貢献しているのか」が問われます。一方、生成AIの観点からは、「これまで知財部員が時間を使ってきた仕事が効率化された後、知財部門は何をするのか」が問われます。

この二つの変化を別々に考えるのではなく、一つの流れとして考える必要があります。生成AIによって守りの知財業務を効率化し、その余力を研究開発や事業の競争優位をつくる仕事へ振り向ける。そのために知財部門のサービス、役割、KPIそのものを変えていくという考え方です。

本稿では、ROIC経営と生成AIによって知財部門に何が起こるのか、そして今後どのような知財部門を目指せばよいのかを考えます。

IPランドスケープの基本的な考え方については、こちらで詳しく解説しています。

ROIC経営を知財に当てはめると何が起こるのか

ROIC経営では、投下した資本に対してどれだけ利益を生み出しているのかが問われます。研究開発や知財も例外ではなく、「その投資は将来の利益にどうつながるのか」を説明する必要があります。

ここで注意したいのが、ROICを短期的な数字だけで捉えることです。

当期のROICを高めるだけであれば、売上を増やすとともに、研究開発費や知財費を減らすという方向が合理的に見えます。しかし、研究開発投資を減らせば、新しい研究テーマは生まれにくくなります。その結果、将来の競争優位や質の高い知財まで失う可能性があります。資料でも、短期的なROIC運用ではR&D費用・投資削減へ向かいやすく、それによって新しい研究開発テーマが減り、知財の質も低下するという問題を指摘しています。

ROIC経営を知財に当てはめるのであれば、「知財費をどれだけ削減できるか」ではなく、「中長期の利益を生み出す競争優位をどうつくるか」という方向に読み替える必要があります。

研究開発によって競争優位性のある事業や技術を生み出し、その優位性を知財によって維持する。知財の立場からROICスプレッドの向上を考えるのであれば、「事業の競争優位性を高める」「範囲の広い権利を形成する」といった活動に具体化することが重要です。

「知財ROIC」は目的ではない

近年は、「知財ROIC」という考え方も見られるようになっています。

知財に投じた費用と、知財が生み出した価値との関係を把握し、不要な出願や維持を減らしていくことには意味があります。しかし、知財ROICという数字そのものを上げることが最終目的ではありません。

重要なのは、知財投資の質を高めることです。

出願件数を増やすのではなく、事業の競争優位につながる知財を増やす。不要な知財コストを削減しながら、中長期の利益につながる研究開発や権利形成には十分に投資する。そのための管理手段としてROIC的な考え方を使うべきです。資料でも、知財ROICは統一された計算式があるものではなく、「質向上のためのKPI」として捉えるべきだと整理しています。

生成AIによって知財業務の前提が変わる

ROIC経営によって知財部門に事業貢献が求められる一方で、生成AIは知財部門の仕事そのものを変えようとしています。

先行技術調査の支援、情報整理、要約、比較表の作成、技術動向の把握、文章作成など、これまで人が多くの時間を使ってきた仕事の一部は、生成AIによって大幅に効率化できます。

知財業界でも、生成AIを使った業務効率化はすでに特別な取り組みではなくなりつつあります。資料でも、生成AIによる知財業務の効率向上は「当たり前の取り組みになりつつある」と整理しています。

しかし、生成AIの影響は業務効率化だけではありません。

生成AIは、外部技術探索、アイデア生成、推論、複数のAIを使った議論などにも利用できます。研究開発テーマについても、従来は人間が時間をかけて考えていた候補を、AIが大量に生成できるようになっていきます。

すると、これまでとは別の問題が生まれます。

アイデアを100案、1000案と作れるのであれば、「アイデアがない」ことは大きな問題ではなくなります。代わりに、「その中から何を選ぶのか」「どれを有望だと判断するのか」「実際にどれを実行するのか」がボトルネックになります。

AI時代には、アイデア生成能力そのものより、人間や組織の評価能力・実行能力が重要になります。

これは知財部門にとって大きな意味を持ちます。

従来のように「情報を検索する」「分析資料を作る」という仕事だけでは、生成AI時代の付加価値を十分に説明できなくなります。何を調べるべきかを決め、仮説を評価し、研究開発や事業に対して次の行動を提案する役割へ進む必要があります。

生成AIも活用した研究開発テーマ創出の考え方については、こちらで解説しています。

生成AI時代、知財部門は二極化する

こうした変化を考えると、今後の知財部門は大きく二つの方向へ分かれていくと考えられます。

一つは「知財センター化」です。

出願管理、期限管理、中間処理、リエゾンなどの守りの知財業務を、生成AI、システム、外部の特許事務所なども活用しながら効率的に処理する方向です。必要な機能を維持しながら、少人数の専門組織へ集約していくことも考えられます。

もう一つが「インテリジェンス部門化」です。

知財だけでなく、技術、市場、顧客、競合などの情報を扱い、研究開発部門や事業部門に対して、「何を調べるべきか」「どの市場を狙うべきか」「どの技術を強化すべきか」「どの権利を取るべきか」を提案する方向です。

資料でも、今後の知財部門を「知財センター化」と「インテリジェンス部門化」の二つのパターンとして整理しています。後者を選ぶ場合には、人員やスキルの高度化が必要になります。

どちらが正しいという問題ではありません。

知財センター型を選ぶのであれば、事業や研究開発に必要なインテリジェンス機能をR&Dや経営企画など、別の部門が担う必要があります。一方、知財部門自身がインテリジェンス機能を担うのであれば、従来の知財実務とは異なる仕事を部門の正式な業務として追加する必要があります。

ここで重要なのが、IPランドスケープとの関係です。

IPランドスケープによって、知財情報を事業や研究開発の判断に利用する考え方は広まりました。しかし、分析資料を作って提供するだけでは、必ずしも事業は動きません。

次に求められるのは、分析の結果から「では何をするべきか」を提案することです。

知財部門の役割を、事務処理型、依頼対応型、分析支援型、提案型、事業・研究開発リード型という5段階で考えると、IPランドスケープによる分析は中間地点に位置します。目指す方向によっては、分析結果から研究テーマ、技術開発、権利形成まで提案する段階へ進む必要があります。


IPランドスケープの分析方法や基本的な進め方についてはこちらをご覧ください。

ROIC経営の下、インテリジェンス部門化するなら攻めのサービス化が必須

知財部門をインテリジェンス部門へ変えるといっても、「もっと事業に貢献しよう」という掛け声だけでは仕事は変わりません。

重要なのは、研究開発部門や事業部門に対して、知財部門がどのようなサービスを提供するのかを具体的に決めることです。ここでは、事業のステージや研究開発の状況に応じて、主に四つのサービスが考えられます。

競争優位性判定サービス

最初のサービスは、現在の事業や研究テーマに競争優位性があるのかを確認することです。

研究開発部門では、「競合がまだ商品化していない」「自社だけがこの技術を持っている」といった理由から、自社技術に優位性があると考えてしまうことがあります。

しかし、競合が類似した技術基盤を持っていれば、将来的に同じ方向へ進化する可能性があります。重要なのは、現在の商品や技術の差だけでなく、その差が顧客に価値をもたらすのか、模倣されにくいのか、知財で守れるのかまで確認することです。

知財部門が自社技術、競合技術、特許、顧客価値を整理し、「現在の事業を続けた場合、本当に競争力を維持できるのか」という判断材料を提供します。

用途探索サービス

二つ目は、保有技術の新しい用途を探索するサービスです。

研究開発では、技術と用途が一度結びつくと、その用途だけを前提に改良が続くことがあります。しかし、同じ技術でも、機能や物理原理に着目して調査すると、異なる産業や用途へ展開できる場合があります。

特許、論文、学会情報などを使い、技術名称そのものではなく、その技術が実現している機能や現象から検索範囲を広げます。

知財部門がこの役割を担えば、「特許を調べる部門」から「保有技術の事業機会を広げる部門」へ一歩進むことができます。


用途探索から研究開発テーマを創出する考え方についてはこちらをご覧ください。

顧客課題の把握サービス

三つ目は、顧客が現在抱えている課題や、将来発生する課題を把握するサービスです。

特にB2B企業では、自社の直接顧客だけを見ていると、顧客課題を十分に理解できないことがあります。顧客の顧客、完成品メーカー、エンドユーザーまでサプライチェーンを広げて考える必要があります。

特許情報だけでなく、市場情報、企業情報、論文、ニュース、生成AIなども組み合わせて、それぞれの工程でどのような課題が発生しているのかを整理します。

知財部門だから知財情報だけを使わなければならないというルールはありません。事業に役立つ情報を提供することを目的とするのであれば、必要な情報源を横断的に利用するべきです。

メニュー③顧客課題の把握サービス


顧客の潜在ニーズを先取りする技術マーケティングについてはこちらをご覧ください。

競合状況の把握サービス

四つ目は、競合企業が現在何をしているかだけでなく、「次に何をする可能性があるのか」を考えるサービスです。

従来の競合分析では、特許出願件数や分類、保有技術を比較することが中心になりがちです。しかし、事業の意思決定に必要なのは、その先です。

競合がどの技術を持ち、その技術をどの顧客課題に使おうとしているのか。顧客課題が今後変化した場合、競合がどの技術を追加する可能性があるのか。そこまで考えることで、初めて自社が先回りすべき研究テーマや権利形成が見えてきます。

ここでは生成AIを積極的に利用できます。

自社・競合の保有技術と将来の顧客課題を整理し、その組み合わせから競合の技術進化や研究テーマを仮説として生成させます。その仮説を人間が評価し、重要なものについて特許や市場情報を使って検証します。

図:資料P89「競合との技術比較表イメージ

こうしたサービスを知財部門が提供することで、研究開発部門から依頼が来るのを待つだけではなく、知財部門側から調査や研究テーマを提案できるようになります。

依頼された発明について先行技術調査をするだけではなく、「この領域を調べた方がよい」「この用途を検討した方がよい」「競合がここへ進出する可能性がある」「この権利は先に形成した方がよい」と提案する部門へ変わっていきます。これは、顧客課題、競合動向、研究テーマ、権利形成をつなぐ「提案型知財業務」と位置づけられます。

これからの知財部員に求められる『提案型知財業務』」

知財部門を変えるなら、KPIも変える必要がある

ここまでの活動を知財部門に求めると、最後に大きな問題が残ります。

それが評価です。

特許出願件数、中間処理件数、調査件数などは簡単に数えることができます。一方、用途探索、顧客課題調査、競争優位性判定、研究テーマへの提案といった仕事は、実施してすぐ売上や利益につながるわけではありません。

その結果、評価制度を変えないまま「事業に貢献してください」と求めると、担当者は評価される短期業務を優先します。知財では、出願や中間処理など数えられる仕事に偏り、助言や知財の質といった中長期的な仕事が置き去りになりやすくなります。

業績評価はなぜ短期的なものになりがちなのか?

そこで、中長期的な成果だけでなく、その成果を生み出す業務プロセスを評価します。

例えば、競争優位性判定を実施して報告書を作成する、用途探索を行って報告書を作成する、顧客課題を調査する、競合調査を行う、といった活動を正式な業務として定義します。

そのうえで、調査方法、必要な工数、成果物、報告書フォーマットなどを標準化します。

業務プロセスを評価可能にする

こうすれば、最終的に新規事業が成功したかどうかだけではなく、「成功確率を高めるために必要な行動を実施したか」を年度内に評価できます。

重要なのは、出願件数の代わりに報告書件数を競わせることではありません。

将来の事業成果につながる行動を明確にし、その仕事に担当者が正式に時間を使えるようにすることです。資料でも、中長期的成果につながる活動を業務プロセスとして認識し、評価可能にすることを基本的な考え方としています。

業績評価で評価対象にする目標にするには(知財)

さらに、競争優位性判定、用途探索、顧客課題調査などをマニュアルと報告書に落とし込めば、実施したかどうかを計測できます。これによって、結果がまだ出ていない段階でも、中長期成果につながる活動そのものを評価できます。

知財部門のKPIは、

業務プロセス → 研究開発テーマ → 質の高い知財 → 事業成果

という因果関係の途中を管理する必要があります。

事業の競争優位につながる攻めの知財形成についてはこちらをご覧ください。

生成AIによる効率化を、知財部門の縮小で終わらせない

ROIC経営によって、知財部門には投資対効果と事業貢献が求められています。一方、生成AIによって、従来型の知財業務は急速に効率化されようとしています。

この二つの変化を受けると、知財部門には二つの選択肢が見えてきます。

守りの知財業務を徹底的に効率化し、専門処理機能に集中するのか。それとも、効率化によって生まれた余力を、競争優位性判定、用途探索、顧客課題把握、競合分析、研究テーマ提案、権利形成へ振り向け、インテリジェンス部門へ進化するのか。

後者を選ぶのであれば、生成AIを導入するだけでは不十分です。

知財部門が提供するサービスを明確にし、担当者が実践できるようにし、業務を標準化し、さらにKPIや人事評価まで変える必要があります。

生成AIで知財業務を効率化することは、知財部門変革のゴールではありません。

その先で、知財部門が研究開発と事業の競争優位をつくるために何をするのか。そこまで具体化することが、ポストIPランドスケープ時代の知財経営に求められていると考えています。

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