「知らず知らずに日和見主義になっていないか?」

「あー、そうですか、それは素晴らしいですね」

A社社長がにこやかな表情でそう返された時、私は「まずいな」と思いました。

数年前、A社会議室にて、一通りのコンサルティングの終了報告の時、コンサルティングの効果はいつも通り上々だったことを報告した後、次の課題について話をしていた時のことでした。

コンサルティングでは、技術戦略の策定をしていたのです。技術戦略とは、会社の技術的な方向性を明確にするものです。そして、話し合った次の課題とは何かと言えば、その成果を会社としての方向性として明確にすることでした。

どんなことでもそうですが、戦略を策定することには、やることを明確にする明るい側面がある反面、負の側面があります。

策定した技術戦略に沿って実際にお金・人を投入するためには、「やらないこと」を明確にする必要があります。つまり、これまでやっていた開発テーマの一部をやめるなどの対応が必要となり、「痛み」が伴うのです。

「戦略」という言葉には様々な定義がありますが、我々が話し合った「戦略」には、スティーブジョブスが言ったといわれる次の言葉に近い意味もありました。

「戦略とは、何をやらないかを明確にすることだ」

冒頭の社長の言葉「素晴らしいですね」は、額面通り受け取れば「やりますよ」という風に聞こえますが、私がまずいと思ったのは社長の表情に実感がこもっていないことでした。

戦略とはやらないことを明確にすることでもあることを知っていれば、当然、にこやかな表情はできないはずです。負の側面があることも知って実行するのならば、負の側面も含めた責任者としての表情があるはずだからです。

その表情はにこやかなものだったとしても、目尻の下がるような笑みではなく、目はまっすぐと見開いた笑みであるはずだと思います。

しかし、A社社長の目尻が下がっていたと感じた私は、「まずいな」、と感じたという訳です。

後には残念な感じだけが残った

往々にして、社長が本気にならない場合、いくら頑張って技術戦略を策定しても、絵に描いた餅に終わりがちです。

どういうことかと言えば、戦略に描いたような資源投入はなされないのです。つまり、当該テーマへの予算は後回しになり、必要なものの購入や人材採用もありません。それだけなら良いのですが、何年か後に思い出したように、「あれどうなったっけ?」と現場に問われ、結果だけを求められるということになりがちです。

言うまでもないことですが、資源投入をしていないのに結果だけを求めるのはムシがいいというもの。件のA社社長にも同じ匂いを感じ、現場に技術戦略の策定をさせるはいいが、本気になって資源投入をすることはしない、そんな気がしていました。

「素晴らしいですね」と言葉自体は良いのですが、表情にはA社社長のそんな姿勢が現れているように感じられ、残念だったのを記憶しています。

私には残念ではありましたが、もしかすると、A社社長には余裕があったのかも知れません。現場が策定した技術戦略を採用しなくても、既存事業で食べていける感じがあれば、わざわざ痛みを伴う戦略を実行しなくてもいいからです。

人には人の危機感があるものです。コンサルタントとしては、依頼があった時が仕事のはじめ時ですから、クライアントの危機感が高まったときを選ぶことはできません。

A社での仕事はこうして終わりましたが、私の心の中には残念・無念感が残りました。コンサルティングで活動したA社社員は私以上に残念に感じていただろうと思います。

中心にあるものを磨くしかない

後日談ですが、我々の策定した技術戦略は実行されなかったこと、A社社長は定年と共に退任されたことを聞きました。

今になって振り返ると、A社で技術戦略策定に携わった私やA社社員は危機感を感じていましたが、A社社長は危機感を感じていなかったという事でしょう。

A社社長を批難しているわけではありません。経営者は危機感に過敏になるものではないし、周りはそれを煽るものではないと思うからです。

一般論ですが、拙速に行動しても、タイムリーに行動しても、責任をとるのは経営者だからです。時宜にかなった判断をするためには、自分なりの危機感を持つ必要があることは言うまでもないことです。

いつが「その時」なのかは結果のみが教えてくれます。そして当然、結果を予め知ることはできない。そうしたジレンマの中、痛みを伴う戦略を実行し続けなければならない経営者の責務には相当の重みがあるでしょう。

しかし仮に、A社社長が「本当にお疲れ様でした。取り扱いについて慎重に検討しますが、戦略実行が今ではないと感じるようになりました。」と言ったとすれば、戦略が実施されなくても残念ではなかったように思いました。社長としての重みを慎重に考慮して対応されたのだな、と感じられるからです。

しかし、現実はそれとは異なるものでした。今思い出しても、とても残念な思い出です。

当然ですが、年をとればちょっとした表情や言葉にも、その人のスタンスや生き方が反映されるものです。経営者は尚更です。その決断の重みや関わる人が多いことからも、考え方が濃厚に言葉やしぐさに反映されます。そして、取り繕うことはできないのです。

経営者はその責務の重みを受け止め、中心にある人間としての力を磨くしかないのです。

あなたは人間としての力を磨くように努力していますか?

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。