実践的な技術戦略の立て方その㊸「小さな意識が大きな利益を生む 」

「仕組みで経営したいですか?」私がこう投げかけると、A社長は無表情で黙ってしまいました。

前回のコラムでは、A社長と継続的にR&Dテーマを生み出して会社の成長を保証するR&Dパイプラインの話をしたことを書きましたが、今回もこれに続いてA社長と私が話した内容を書こうと思います。

前回のコラムはこちらをご覧ください。

前回に引き続き、A社長に説明する際に使った資料を示します。

「この資料も右側から見てほしいのですが、計画的に顧客の潜在ニーズに関する情報が取れるように営業・マーケに『潜在ニーズ発掘システム』が必要です」と私は説明しました。そうすると、「潜在ニーズの情報は欲しいですね、うちの会社は顕在ニーズの対応ばかりだから」とA社長は言いました。「潜在ニーズ」というキーワードにピンと来たのだろうと思います。

「潜在ニーズはどうやって情報収集するのですか?」というA社長の質問に対し、「顧客のところに足を運ぶ営業や技術の方が、顧客のことを何も知らないで行くと何の情報収集にもなりませんので、徹底的に顧客のことを調査していただき事前準備していただきます。『顧客の先生』になれるまで準備が進めば顧客から頼られる存在になりますし、そうすると顧客の潜在ニーズに気づけるようになりますよ」と私は答えました。

「『顧客の先生』になれば『潜在ニーズ』をつかめる、ということですか?」とA社長は納得したような表情で確認しましたので、私は頷きながら「そうです、そうして潜在ニーズをつかむと次はテーマの企画になります。潜在ニーズの情報をもとにして、技術者がマニュアルに沿った調査をすることでR&Dテーマの企画ができるようになります。」と応じました。

潜在ニーズに基づくテーマ企画とは

「さっきのマニュアルですね?」とA社長は確認しました(マニュアルについては先月のコラムでも触れましたのでご参照ください)。

「テーマ企画の段階では知財の情報も使いますが、社内で知財情報の活用をしているか分かりますか?」と私が聞くとA社長は黙って首を傾げて「さあ」と全く知らないような素振りを見せました。

A社は社員数数百人規模の中堅企業ですが、中堅企業の社長になると知財がどのようなことをしているのかほとんど分からないことが多いです。知財情報を企画に使えることを知っている社長は殆どいません。A社長もご多分に漏れず、知財情報をR&Dテーマ企画に使えることを知らない一人のようでした。

「知財情報も潜在ニーズに基づいたテーマ企画には使える情報でして、マニュアル化された項目に基づいて必要な調査をすれば活用できるようになります」と私が説明すると、A社長は口を真一文字に結びつつ頷き「詳しくは分からないけどできそうなことは分かった」とでも言いたそうでした。

知財情報の活用について詳細な説明は不要と思われたので、私は話題を変えて「今までR&D部門に指示を出してつまらない提案が返ってくることがありませんでしたか?」と質問しました。そうすると、A社長は笑みを浮かべて「いつもそれですよ」と苦笑いしました。

「なぜつまらない提案が上がってくると思いますか?」と私が聞くと、A社長は黙ってしまいました。A社長にそれが分かっていれば解決済みの問題ですから、もしかするとこれは意地悪な質問だったかも知れません。

しばし沈黙した後、私はこう説明しました。「種明かしをすると、R&Dの責任者も板挟みになってキツいんですね。部下に『面白いテーマを出せ』と指示すると、逆に部下から『何をすれば良いのですか?』と聞かれるんですよ」

「でも、それを工夫するのがR&Dの仕事でしょう?」とA社長は口をすぼめて言いました。確かにその通りの正論です。ただし、R&Dの責任者もそれまでA社長の指示に沿ったことをしてきただけ。いきなり方針転換されて「面白いテーマを出せ」と言われても社長方針に答えるまで時間がかかるというのが人情です。

仕組みでの経営

R&Dパイプラインの図を指で示しながら「仕組みで経営したいですか?」と私が投げかけると、A社長は無表情で黙ってしまいました。これもちょっと意地悪な質問だったかも知れません。というのも経営者たる者、仕組みで経営したいに決まっているからです。

この点、少し補足します。極端な話ですが、経営者は大きく2つに分かれます。自分がいなくても回る仕組み作りに成功した経営者と、仕組みづくりを志向しながら成功できない経営者です。多くの経営者が「自分がいなくても回る仕組みがほしい」と言いますが、それに成功するのは限られた経営者で、経営者であれば誰しも仕組みで経営したいのです。

「潜在ニーズや知財情報を使ったテーマが出せるようにマニュアル化されていると、R&D部長クラスから技術者にテーマ企画をするような指示を具体的に出すことができるようになります。指示を出して『何をすれば良いのですか?』と逆に聞かれることがないのでR&D部長も指示がし易いです。」と私が説明すると、A社長はまたも口をすぼめて「まあ、それはそうですけどね」と渋々と納得しました。

「マニュアル化されていると他にも良いことがあるんですよ」と私が話すとA社長は「R&D部長がラクできるんでしょ?」と笑いながら言うので、「いえいえ、そのメリットではなくて、、、」と苦笑いで応じました。

「マニュアルがあるとA社長の経営目標である『2030年に営業利益◯◯億円』を達成できるんですよ」こう私が続けると、A社長は眉間にしわを寄せて「どういうことですか?」と質問しました。

「マニュアルがあるということは、テーマ企画に必要な作業時間が読めるということです。作業時間が読めれば、経営者が技術者に時間さえ与えれば面白いテーマが出てくるということになるじゃないですか?」と私が説明すると、「そう簡単に行きますかね?」とA社長は応じました。

やるか、やらないか

「もちろん人によりますし、熟練度にもよります。けど、何事も練習が必要です。繰り返せば一定の確率で面白いテーマが出るようになりますし、確率が上がりますよ」と私が言うと「まあ繰り返せば誰だって上手くはなるでしょうね」とA社長は渋々と納得しました。

「技術者の時間を確保しさえすれば良いわけですから、経営者としては『やるかやらないか』、ただそれだけの判断ですよ」と私はA社長の肩を押すようなつもりで言ったところ、A社長は少し笑みを浮かべて「それじゃあ試しにやってみますか」と応じました。

ここまで、私は角度を変えてA社長に会社を継続的に成長させる仕組みとしてR&Dパイプラインが必要だと説明していました。説明を受けたA社長の反応は半信半疑、マニュアルは良いとしてもR&Dパイプラインの定量的・確率的なマネジメント手法は論理的で分かりやすいものの慣れない部分が多いといったところでした。

私からすればA社長の反応は極めて一般的なものでした。というのも、R&Dパイプラインは教科書的説明として分かったつもりにはなりますが、現実に適用をしたことがない会社が多いことを知っているからです。

慣れないものを自分が慣れないというだけでやらないでおくのか、A社長のように理屈通りやってみようとするのかが運命の分かれ目なのですが、A社長は後者を取りました。

すこし横道に逸れるようですが、A社長のすごいところは、上述の通り私の前では半信半疑のように見えたのですが、いざやる時になると本気でやるようになったことです。R&Dパイプラインの考え方や定量的・確率的なマネジメントを徹底して社員に求める様になりました。

その結果、A社長の決断は正解でした。詳細は省きますが、A社は少しずつ変わっていき、1年経過するとテーマが出始め、2年目にはその数が大幅に増加し、3年目には「R&Dパイプライン」と呼べる一連の仕組みが機能するようになりました。

もちろん、A社内では営業マーケの頑張りで潜在ニーズが発掘できるようになったり、技術者の頑張りでテーマが出るようになったりしています。そして、そのテーマを進めるためのオープン・イノベーションや事業買収なども活発に行われるようになりました。

当時、A社長には「R&Dパイプラインの考え方は自分には慣れない」などと理由をつけてやらないことはいくらでもできたでしょう。しかしもしも、A社長がそのような理由でなにもしないことを選んだら、おそらくA社は当時のままだったでしょう。つまり、顧客要望対応の低収益仕事をやり「貧乏暇なし」が続いていたはずです。私が関わる前のA社の状況がまさにそのような状況だったからです。

さて、読者の皆さんの会社ではいかがでしょうか?経営者が単に決めるだけのことなのに、何かと理由をつけて決めずに先送りしたり、やったふりをしたりをしていませんか?R&Dパイプラインの仕組みづくりは難しいことではありません。経営者が決めるだけのことです。

あなたは、次世代に仕組みを残せるような仕事をしていますか?

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。

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