技術トレンドと経営トップの戦略その⑯「ROIC経営を掲げても、R&Dから新テーマが生まれない ― 見落とされがちな人事評価制度の問題 ―」


あるCTOの悩み

「ここ数年、ROIC向上を目指して色々と取り組んでは来たが、新しいR&Dテーマが出てこないんです」ある打ち合わせの場で、CTOがこうぼやいた。私はコンサルタントとして、その悩みを聞いていた。

「具体的には、どんなことに取り組まれたのですか?」そう尋ねると、CTOは少し考え込みながらこう答えた。「技術マーケティングや技術の棚卸しなどはやってきました。ただ、期待していたほどの成果が出ていないんです」

そう言いながら、同席していた部下たちの方を見渡す。部下たちも苦笑いを浮かべていた。「それらは、いつ頃から始められていたのですか?」私がこう聞くと、「ROIC経営と言われる前からですね」と答えがあった。

技術マーケティングや技術の棚卸しは、R&Dテーマ創出において重要な取り組みであり、一定の時間もかかる。それを「すでにやってきた」という話を聞き、私自身も「やるべきことは一通り手を打っている」という印象を持った。

それでも結果が出ない。「では、どこに問題があるのか?」そう考えながら、さらに詳しく話を聞いていくうちに、私はある点に気づいた。

ROIC経営を進める際に、企業が直面しがちなこと

本コラムでは、ROIC経営を推進する際に、多くの企業が無意識のうちに直面している課題について取り上げたい。

ROIC経営は、ROE向上のための重要な考え方の一つであり、投下資本に対する利益を最大化することを目的とする。そのため、全社指標として掲げるだけでなく、部門ごとに指標を分解し、それぞれの役割に応じたマネジメントを行うべきだとされている。

しかし、ここで一つの矛盾が生じやすい。

ROICにつながる行動と、評価が一致していないことだ。

この問題を分かりやすくするために、まず営業部門の例で考えてみよう。

ROIC経営においても営業担当者の評価は、結局「売上」

ROIC経営において、営業部門が直接的に関与する指標は売上である。そのため、営業担当者や営業部門のKPIとして、売上が設定されることが多い。

売上は従来から営業担当者の責任として扱われ、所定の期間に所定の数字を達成することが必達目標とされてきた。そして実務上は、それ以外に明確な必達目標が設定されていないケースも少なくない。

しかし、多くの読者はこう感じるのではないだろうか。「ROICを上げるためには、売上を上げること“だけ”が重要なのだろうか?」と。

営業担当者は、顧客を訪問する中で、顧客の課題や潜在ニーズを把握できる立場にある。その情報を社内、とりわけ研究開発部門にフィードバックすることで、将来の事業につながるテーマ創出が可能になる。

#なぜ行動と評価がずれるのか?

こうした行動は、確かに中長期的にはROIC向上に寄与する。しかし、多くの場合、それは評価の対象にはなっていない。なぜ担当者の行動と評価はずれるのか。理由は大きく二つある。

一つは、これらの行動が売上のように定量化しづらいこと。もう一つは、それらが中長期的な成果につながるプロセスであり、短期的な成果を重視しがちなマネジメントの中では見落とされやすいことである。

この「ROICにつながる行動」と「評価される行動」のズレこそが、現場で感じるモヤモヤの正体である。

R&Dではどうか?

この構造は、研究開発でもまったく同じである。

多くの企業において、研究開発もまた短期的な成果が見えやすいテーマに偏りがちである。例えば、特定顧客の要望に応じた製品改良を行い、その顧客から確実に受注が見込めるテーマなどが典型例だ。

こうしたテーマは、短期的には売上や利益に貢献するため、評価もしやすい。その結果、限られた研究開発リソースの多くが、こうした短期テーマに割り当てられることになる。

評価指標として用いられるのは、「予定通り完了したか」「納期を守れたか」といった項目であり、研究開発もまた短期成果中心の評価構造に置かれている。

中長期的な成果につながる努力は、どこで評価されるのか

研究開発の場合、営業ほど明確な数字での評価はできないものの、実務上は「納期遵守」「テーマ完了率」等の指標で評価することになりがちである。その結果、技術者は短期テーマの対応で手一杯になり、中長期的な成果につながる探索的な活動や仕込みに時間を割く余裕がなくなる。

中長期的な取り組みが重要であることは、誰もが理解している。しかし、それを実行しても評価されない、あるいは直属の上司からは評価されにくい。この構造が続けば、現場が慎重になるのは自然な流れだろう。

CTOの反応

ここで話を打ち合わせの場に戻そう。これまでの取り組みを一通り聞いた上で、私はCTOにこう尋ねた。「人事評価については、どのように設計されていますか?」するとCTOは、少し虚を突かれたような表情になった。

「いや、人事評価は特に手を付けていないですね」そう言って苦笑いし、事務方の担当者の方を見る。担当者も同じように苦笑いを浮かべていた。しばらくしてCTOが尋ねた。「人事評価制度って、変えるものなんですか?」

ROIC向上に、人事評価制度の見直しは必要か

CTOや事務方の反応から、「ROIC向上に人事評価制度まで踏み込む必要があるのか」という疑問があったことが伝わってきた。

一般的に、人事評価は人事部門の領域であり、営業や研究開発が口を出すものではない、とされている。そうした役割分担の意識は、多くの企業で自然に形成されている。口を出すのは越権行為であり、担当役員同士でも調整は難しいのだ。

しかし、人事評価制度といえども、業績を上げるための手段である。ROIC向上という経営目標を現場で実行するために、評価制度を見直すことは、決して不自然な話ではない。

「必要です」私が単刀直入にそう答えると、CTOは意外そうな表情を浮かべ、こう尋ねた「他社事例はあるのですか?」と。

他社事例をそのまま当てはめる危うさ

その質問の意図は「他社事例があれば真似してやりやすい」というのがミエミエだった。逆に事例がなければできそうにないことを暗示していたようにも感じられ、私はどう答えるか判断に迷った。

「ある」と言えば「教えてくれ」だろうし、「ない」と言えば「なんだ」となるのが見えていたからだ。私はコンサルタント、守秘義務があるため他社事例などお話できる立場ではない。また、他社事例があれば真似るという意思決定は経営的に最悪である。

独自性のない取り組みは差異化に繋がらないからだ。 ただCTOがそんなことを分かっていない筈はない。そこで私は笑いながらこう答えた。「CTO、他社事例があればやるのですか?」と。

CTOは我に返ったように「あ、そうか」とやや恥ずかしそうな表情になった。その後、他社事例があるからやるわけではない、ROIC向上に必要な手段だからやるのだ、という前提に立って、我々はさらに詳しい話をした。

人事評価制度を変えなければ、現場は「やってられない」

本コラムでは詳細までは踏み込めないが、ROIC向上を本気で進めるのであれば、人事評価制度の見直しは避けて通れない。もし、人事評価制度を変えないまま、営業や研究開発の現場に中長期的な取り組みを求めれば、現場からはこうした声が上がるだろう。

「短期テーマで工数をすべて使っているのに、さらに中長期の仕込みまで求められるのですか?それでは、やってられません」ROIC向上に向けた施策を、現場の善意やボランティア精神に依存させるべきではない。 人事評価制度は、人事のための制度ではない。経営戦略を現場で実行させるための、極めて重要なマネジメントツールである。経営者やR&Dマネージャーは、その点を改めて考える必要があるだろう。

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。

研究開発ガイドライン「虎の巻」を差し上げます

研究開発マネジメントの課題解決事例についてまとめた研究開発ガイドライン「虎の巻」を差し上げています。また、技術人材を開発するワークショップやコンサルティングの総合カタログをお送りしています。

部署内でご回覧いただくことが可能です。
しつこく電話をするなどの営業行為はしておりません。
ご安心ください。

研究開発ガイドライン「虎の巻」の主な内容

・潜在ニーズを先取りする技術マーケティングとは?
・技術の棚卸しとソリューション技術カタログとは?
・成長を保証する技術戦略の策定のやり方とは?
・技術者による研究開発テーマの創出をどう進めるのか?
・テーマ創出・推進を加速するIPランドスケープの進め方とは?
・新規事業化の体制構築を進めるには?
・最小で最大効果を得るための知財教育とは?