
「ステージゲートのハードルが高すぎる」(ある技術者)、「個々の事業戦略は弱いですが、事業部任せになっていて手が出せません」(ある経営企画部長)、「既存事業の成長については、どうしたら良いか分かりません」(ある経営者)。
最近、現場でこのような言葉を聞く機会があった。発言者も立場も文脈も違う。しかし、いずれにも共通していることがある。それは、個人の努力不足ではなく、会社の意思決定構造そのものが、成長につながる仕事を難しくしているということだ。
溜まる現場の不満
2026年現在、転職やキャリアアップは多くの技術者にとって身近なテーマになっている。技術者としての市場価値を高めたい。より重要なテーマに関わりたい。社会や顧客に意味のある技術を生み出したい。そう考える人は少なくないだろう。
しかし、どれほど本人に意欲があっても、会社の仕組みがそれを許さない場合がある。提案しても、ステージゲートであれこれ指摘されて前に進まない。既存事業には明確な戦略がないのに、誰も踏み込めない。新規事業組織はあるが、提案されたテーマは既存事業の論理で潰される。こうした環境では、技術者は「バリューの高い仕事」に関わる機会を失っていく。
R&Dガバナンスの不全問題か
これは単なる現場の不満ではない。コーポレートガバナンス・コードの進化や、東京証券取引所によるPBR改革2.0の流れの中で、上場企業には資本コストを意識した経営や成長投資へのコミットメントが強く求められるようになっている。取締役会は、会社の将来の稼ぐ力をどう作るのかを問われている。R&Dもまた、将来の成長を生み出す投資として見られる時代になった。
ところが、会社の実態はそれに追いついていないことが多い。組織は従来通り、事業部長がおり、研究所長がおり、経営企画部長がいて、IR部長がいる。それぞれが自分の役割を果たしている。しかし、成長投資を実現するには、従来の分担だけでは足りない。
問題は、分権体制そのものではない。問題は、事業部単独では解けなくなった課題を、いまだに事業部単独の責任として扱っていることだ。
事業部ではなにが起こっているのだろうか?
例えば、成熟した既存事業では、事業部が保有している技術などの経営資源だけでは差別化が難しくなっていることがある。市場が成熟し、製品の違いが見えにくくなり、利益率が低下している。それでも、その事業の戦略は事業部長に任される。経営企画部門が「この事業には戦略が弱い」と気づいても、それを指摘するのは遠慮がある。

事業部長の権限に踏み込むようなことだし、仮に言ったとしても「ではどうすれば良いのか?」という問いに明確に答えられるような担保もないからだ。このような遠慮と担保が、権限の壁を超えられない要因と言える。
その結果、戦略が曖昧なまま、何十人、何百人もの社員が日々のオペレーションを続けることになる。現場は真面目に働いている。顧客対応もしている。改善活動もしている。しかし、事業としてどのような戦略で他社と競争するのか明確でないまま続けても利益率は上がらない。
新規事業では
新規事業も同じである。多くの会社では、ここ数年、社長肝いりの新規事業組織が作られ、技術者が新しいテーマを提案する機会も増えてきた。しかし、そこで提案されたテーマが、必ずしも事業として実を結んでいるわけではない。このことは、多くの技術者が肌感覚として知っているのではないだろうか。
その原因の1つが、既存事業の延長線上で設計されたステージゲートである。新規テーマは、既存事業のテーマと違い、初期段階では顧客も明確ではなく、技術も未完成で、収益性の見通しも粗い。にもかかわらず、審査の場で既存事業と同じような確度を求めれば、当然ながら多くのテーマは落とされる。

さらに、審査に既存事業の営業や生産部門が関わると、判断はリスク回避的になりやすい。これは営業や生産の人が悪いという話ではない。彼らは既存事業を守る責任を負っている。品質、納期、既存顧客、現在の収益を考えれば、リスクに敏感になるのは当然である。問題は、探索段階のテーマを、既存事業を守る論理だけで評価してしまうことにある。
冒頭の技術者が言った「ステージゲートのハードルが高すぎる」という言葉は、この構造をよく表している。新規テーマに必要なのは、最初から完璧な事業計画ではない。むしろ、仮説を立て、顧客を観察し、技術の用途を探索しながら、将来の勝ち筋を見つけていくプロセスである。
技術者の市場価値も上がらない
ここで考えたいのは、この問題が経営者だけの問題ではないということだ。会社の意思決定構造が成長投資に向かっていなければ、最も損をするのは現場の技術者かもしれない。
はっきり言えば、そんな会社に長くいると、あなたの市場価値は上がりにくい。場合によっては、下がっていく。なぜなら、バリューの高い仕事に関わる機会が少なくなるからだ。
もちろん、目の前の仕事を真面目にコツコツやることは大切である。技術者としての基礎力、品質へのこだわり、改善の積み重ねは軽視されるべきではない。しかし、それだけで技術者の市場価値が上がる時代ではなくなっている。これからの技術者の価値は、「高度な技術を持っていること」だけではなく、その技術を顧客価値や事業成果に結びつけられるかどうかで決まっていく。
だからこそ、技術者は「どう作るか」だけでなく、「何を作るか」に踏み込む必要がある。
蒸気機関車の技術者を考えてみれば分かりやすい。蒸気機関車の技術そのものには、今でも高度な知識や技能があるだろう。そこに関わる人の仕事を否定するつもりはまったくない。しかし、産業として見れば、それは新たな成長産業というより、レトロ、懐古、ノスタルジー、観光、保存といった領域に近い。つまり、技術の価値は、技術そのものだけで決まるのではない。その技術が、どの市場、どの顧客、どの成長領域に接続されているかによって大きく変わる。
「何を作るか」は、会議室の中だけでは決まらない。顧客を観察し、顧客の業務を理解し、顧客がまだ言語化できていない不満や制約を見つける必要がある。既存顧客の現在の要望を聞くだけでは足りない。顧客の事業環境がどう変わるのか、規制や社会課題がどう変わるのか、競合や代替技術がどう動くのかを調べる必要がある。
つまり、これからの技術者のバリューを握るのは、調査能力である。技術を深く理解する力に加えて、顧客を観察する力、事業環境を読む力、将来の課題を仮説化する力が必要になる。
R&Dガバナンスの再興を
R&Dガバナンスの不全とは、単にステージゲートの設計が悪いという話ではない。会社全体として「将来どこで稼ぐのか」を決められないまま、現場の技術者を現状維持テーマに閉じ込めてしまう意思決定不全である。
PBR改革2.0によって、企業は成長投資を語らざるを得なくなった。しかし、本当に問われているのは、投資家向けに成長ストーリーを説明できるかどうかだけではない。その成長ストーリーを実現するために、既存事業の戦略に踏み込み、新規テーマを育て、技術者が顧客価値を探索できる仕組みを作れているかである。
取締役会が成長投資を監督するというなら、事業部長に成長戦略を求めなければならない。既存事業の延長では差別化できないなら、組織をまたいだ技術・顧客・知財・営業の組み替えを求めなければならない。新規テーマを育てるというなら、既存事業と同じ基準で潰すのではなく、探索段階にふさわしい評価の仕組みを作らなければならない。
そして技術者もまた、会社の仕組みを嘆くだけでは足りない。自分の市場価値を高めたいなら、与えられたテーマをこなすだけでなく、「何を作るべきか」を考える側に回る必要がある。顧客を観察し、調査し、仮説を立て、技術を事業の成長に接続する。
真面目に作るだけの技術者から、何を作るべきかを構想できる技術者へ。R&Dガバナンスが変わるべき理由は、会社のためだけではない。技術者自身の未来のためでもある。
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