「この案じゃ、何も変わっていないじゃないか」とA社長が冷静に言ったあと、その案を出したBさんは「ただ、諸事情があってどのテーマもやり続けなければならないのです」と答え、会議室はシーンと静まり返りました。
場所はクライアントA社の会議室。参加者はA社長とBさんの他数名と私でした。議題は翌年度のR&Dテーマを決めようとするもので、選定するテーマを変化させるというものでした。
A社長とBさんのR&Dに関する会話は会社の儲けに直結する投資に関することでしたのでA社長は譲れない部分がありました。つまり、Bさん提案の「従来どおりにしかできない」を容認すれば全く儲からない一方、A社長「従来とは異なる提案を」を実施すれば儲かる道が拓けるというものでした。図にすると以下の様になります。
A社長には会社を成長させる義務があります。そのため、A社長には「従来とは異なる提案」をBさんにさせそれを実施する必要があったのですが、Bさんの提案はそうではありませんでした。
経営者の思い通りにいかない理由とは?
「従来とは異なる提案を」と経営者が求め、「従来通りにしかできない」と部下が回答する。このような会話はテーマ創出に成功し戦略的な投資をしようとするクライアントの会議室ではよく聞かれるものです。A社のように冷静な会話が会議の緊迫感をもたらすこともあれば、声を荒らげて議論が進むこともあり、会議の雰囲気は会社によって違いますが、内容は同じです。
経営者が要求することを部下ができないのはR&Dに限らずどこにでもある普通の光景だと思いますが、そんな時に「部下が分かっているのにやろうとしない」と感じてイライラしてしまう経営者もいるかも知れません。今回のコラムでご紹介するのは、このような状況を打開した経営者の一言です。
Bさんがローリスク・ローリターンを提案する理由
BさんはA社長の要望を分かっていながらあえて無視しローリスク・ローリターンのテーマを提案していたのですが、その背景にはどのような理由があったのでしょうか?
仕事のできる部下だからこそする忖度
Bさんは決して仕事ができない人ではありませんでした。というのも、これ以前にA社長からBさんの紹介を受けた時のことです。60代のA社長から、Bさんを「腹心の部下」という調子で紹介されました。A社長によれば50代のBさんは「次世代の経営者」で、現場では管理職。それも「仕事のできる管理職」という評価を受けていたのです。
二人の人間関係が悪い訳でもありませんでした。A社長によるBさんの人物評は「配慮の行き届いた方で、周囲との人間関係も良好」というものでした。会議でA社長が語気を荒らげずに冷静に話したのも、二人の人間関係が悪いどころか、むしろ良好だからでした。
しかし、私にはピンと来るものがありました。A社長によるとBさんは「周囲との人間関係も良好」ということでしたが、今回のケースではこれが仇になっているのでは?と思われたのです。
誰も軋轢を生みたくない
確かに、Bさんは「いい人」という印象を周囲に与える人でした。しかし、R&Dトランスフォーメーションでは、従来通りではなく、従来とは異なる意思決定が必要です。従来とは異なる意思決定は軋轢(あつれき)を産むため誰にでもできるわけではありません。軋轢を産む意思決定ができるかどうかは能力的なものではなく、性格的なものが大きいと思います。
読者の皆さんも人と話をすればその人がどんな人かは分かると思いますが、私もクライアントと話せばその方が従来と異なる意思決定ができる方かどうかは分かります。
そう。「いい人」は軋轢を産むような意思決定はできないのです。
R&D、現場と経営の思い違いとは
私には、Bさんのそのご性格から「頼まれると断れない」状況にあったのだろうと思われました。そして、「断れないテーマ」を積み上げると、リソースが逼迫してしまい、A社長オーダーのハイリスク・ハイリターンテーマにも投資するようなプランを提示できなかった、という訳です。
Bさんの直面していた様子を図にすると以下のようになります。
このような場面で、Bさんの性格を考慮すればBさんだけに任せておく訳には行きません。Bさんに任せれば赤線で示すような儲からないテーマにリソースを投入することになるからです。このような場面でA社長には2つの選択肢があったと思います。一つは、決められないBさんを誰か別の人に代えること。もう一つはA社長の責任でハイリスク投資をすることでした。
「もっといい案を示してくれよ〜」とA社長は苦笑いしながら会議で言いましたが、その言葉からは、A社長の自覚は伝わってきませんでした。どんな自覚かと言えば、A社長がBさんを誰か別の人に代えようともしていないし、自分で責任をとってハイリスク投資をするとも言っているように伝わらなかったのです。
その会議は時間が過ぎ、A社長が「もっといい案を次回示して」とBさんに丸投げするように言われることで終了しました。Bさんはそれを受けて翌月に案を再度提示することになったのです。
「A社長が決める場面なのに、これではなにも決まらない、まずいな」と思った私は会議終了後にA社長と立ち話をすることにしました。
A社長に伝えたのは
私は、A社長の発言内容や言い方からA社長が自分の役割を分かっていないことを濃厚に感じていました。また、それまでのやり取りからA社長はストレートに伝えても怒ったりはしない方だと知っていましたので、ストレートに伝えることにしました。
「Bさんは性格的に断りきれない方だと思いますので、『A社長の責任でテーマの中止などに伴う面倒を引き受けるからローリスク・ローリターンのテーマをやめるなどの思い切った案を提示して欲しい』とハッキリ言ってあげないとできないですよ」と私は伝えました。
Bさんはいわゆる「いい人」なので一度引き受けたテーマを中止にして関係者に軋轢を産む意思決定をするなどできないと思われたのです。それで中止に伴う面倒などは社長が引き受けるなどの措置を講じなければ、Bさんが思い切った提案をできるはずはない、というのが私の考えでした。
そうすると、A社長は虚を突かれたような表情をして一瞬戸惑ったのですが、すぐに理解したようでした。「確かに、テーマをやめることは私からステークホルダーに説明しないといけないですね」と頷きながら返され、理解してもらえた事を私は確認しました。
翌月の同じ会議にて。BさんはA社長の望むような思い切った提案をし、A社長が承認する形でその案を実行する事になりました。「やめるテーマの関係者への説明は自分がやるから」とA社長はその後を引き受けました。結果、A社長の望むような形で投資できることになったのです。
詳細は確認していないものの、会議までにA社長とBさんとの間で話し合いがあって「自分の責任でやめる案件はやめさせるから、思い切った提案をして欲しい」という趣旨の指示があったことは間違いないでしょう。
さて、社長の思いと部下の思いが交錯するこうしたシーンは皆さんの会社にもあるのではないでしょうか?その中には、今回のコラムのような社長の「一言」があれば変わったのに、と思うシーンもあったのではないかと思います。
このコラムでお伝えしたかったのは、たった一言で目詰まりが解消するこのようなことが実際にあるということでした。この事例から学べる教訓は、テーマ創出に成功しても油断してはならないということです。
テーマ創出に成功することと、実際に投資できるかは違います。実際に研究開発で人がついて初めてテーマを実行できます。このケースでは部下が「いい人」であることが目詰まりを起こしていましたが、そんなことも実際に起こりうるものです。
こうした目詰まりを気づかずに放置していると、1年や2年という月日はあっという間に過ぎるものです。そうした時間を浪費したい人などどこにもいないでしょう。浪費したくないのであれば、どこで目詰まりを起こしているのかを、全神経を動員して察知しながら解消に努めたいものですね。
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