実践的な技術戦略の立て方その⑯ 怖くてフタをあけられない?利益目標と足元テーマの総額

「それは明確になってもいませんし、いままで計算したこともありません。」

Aさんはきっぱりとこう言いました。Aさんの上司に当たるCTOはお茶を濁すような笑いを浮かべていたのを記憶しています。

遡ること数年前。そこはA社の会議室でした。会議をしていたのは、Aさん、上司のCTO、私とその他A社メンバーです。技術戦略の策定に関して協議していました。

いつも技術戦略の策定をする会議では、私は現状を明確にすることから始めています。大抵の場合、「10年後に営業利益を2倍にする」などの目標は定まっています。目標達成のために、最初に私が確認するのは足元のテーマの総額です。

「足元のテーマを実現するといくらになるか計算されていますか?」と私が聞いた所、冒頭のようなやり取りになりました。イメージとしては、以下の図のようなものです。赤い部分が明確になっているか、お尋ねしました。

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私の質問を受けてCTOは答えに窮してしまいました。あまり答えたくないような表情をされていました。一方のAさんは待ってましたとばかりに口を開き、「今回、そういうことを明確にするためにこの会議をしています」と言われました。

改革実務トップと形式的組織のトップ

「技術戦略を明確に定めたい」というのは、CTOのご依頼というよりもむしろAさんのご依頼でした。コンサルティングの提案から調整まですべて窓口はAさんの取り仕切りによるもので、CTOは承認する形式でした。もうすこし言えば追認のような形でした。

改革実務を担うAさんからのご依頼ということで、私は「少し政治的な話になりそうだな」と感じました。というのも、形式的な組織トップと改革派実務トップが違う人物の対立を予想したからです。

余談ですが、コンサルティングの現場では、形式的な組織のトップのご依頼なのか、改革派実務のトップのご依頼なのかで対処が変わってきます。もちろん、組織トップが改革を進めるという依頼が最も多いのですが、形式的な組織トップからのご依頼というのもあります。

誤解を恐れずに書くと、形式的な組織のトップには「技術戦略を明確に定めたい」という動機はそもそもありません。形式的組織トップの動機はむしろ、任期を円満に過ごすことだけです。

そのため、組織内は事なかれ主義・現状維持主義となり変革は停滞します。良くも悪くもぬくぬくと居心地の良い時期なのではないかと思います。しかし、このような状態が続くのはなんとか利益が出ている間です。

A社でも同じでした。変革のないまま数年が過ぎたとのこと。しかし、CTOもAさんのような改革派の提案を抑えきれなくなったのでしょう。技術戦略の策定に踏み出すことにしました。

「これまで明確にしてこなかった理由はあるのですか、明確にしないとマネジメントできないと思うのですが?」と私がお聞きすると、CTOは「きちんと足元で利益が出ていたので問題がなかった」と説明されました。

Aさんが付け加えます。「その足元の利益といっても、事業部が出したもので研究開発部門の成果とは言えません。」

CTOとAさんの対立に空気がピリピリしてきた感じがしたので、私は視点を変えました。

足元テーマの総額は

「原因分析はさておき、これからの話しをしましょうか。」私はピリピリした空気を変えたくて、こう切り出しました。

「そもそも、足元テーマの総額が明確にならないと、経営者の要求とのギャップが明確にならないのはお分かりかと思います。」と私は続けました。

「ギャップが明確になってこそ、どれだけの不足分があり、それをどうやって埋めるのかの議論が可能になります。過不足がわからないようだと、テーマ創出の必要性がわからないですからね。」私は、下図のようなスライドを見せながら続けました。

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図にあるのは、右に経営者目標、左に足元テーマの総額があります。左右に挟まれて、赤で示すテーマ創出での積み増し分があり、青で示す技術戦略策定による絞り込み後のテーマ分があります。

一通り私が図の説明をすると、CTOは「このような明確化は必要ですね」と意見を述べられました。Aさんは「なにを今さら」という表情でしたが、その言葉を表には出さない大人対応でした。

「では、まずは足元のテーマの総額を明確にすることから始めましょう。それが宿題ですね。」と私は言い、そのミーティングを締めくくりました。

CTOも認めざるを得なかったギャップですが、読者の皆さんは「このようなことを明確にして当然」と思われるかも知れません。しかし、現実をお話すると、このようなギャップすら明確にしていないのはA社だけではありません。統計はないものの、かなり多いというのが私の印象です。

Aさんのその後

ギャップすら明確にしていないということは、対応するマネジメントがないに等しいということです。要するに、目標はあってもどう達成するかが不明確なまま業務が進んでいるのです。A社でも同じでした。

なぜギャップを明確にしてマネジメントしないのでしょうか?それは人間関係を重視して変革を恐れているからでしょう。事なかれ主義の人物は、ギャップをあえて明確にして変革するのを先送りして既存の人間関係を維持します。

とはいえここは民間企業です。人間関係を重視して業績が上がる会社ならまだいいのですが、そうでなくなれば変わるしかないのは物の道理です。つまり、ギャップを明確にして、不足分をどのように埋めるのか具体化するマネジメントが必須です。

A社のCTOのことを「事なかれ主義の人物」と書くと悪いイメージになりますが、反対に言えば「誰からも嫌われない好人物」です。そのため、CTOのことをどのように評価するのかは人によって違うでしょう。

しかし厳しいようですが、変革する人物の評価と「嫌われない」人物の評価は異なります。嫌われない人物がマネジメントに付けば、人間関係は保たれる反面A社のような停滞も招きます。逆もまた然りです。古い体質が染み付いた会社ではどちらかを選ばなければならないのです。

このような当たり前のことが、A社では行われていませんでしたし、Aさんはそのことを問題だと思っていました。それでCTOとの対立を恐れずにご依頼になったという訳です。

A社ではその後、ギャップの明確化をした上で、ギャップを埋めるためのマネジメントが進みました。何年かして、Aさんはその後A社のCTOになられました。変革の実績が認められたのだろうと思います。

改革が進んだA社を「めでたしめでたし」と見るか、変革でどれだけ人間関係が失われたのかと見るか、あなたはどちらでしょうか?読者の皆さんの会社でもA社と同じようなことが起こっていないでしょうか?皆さんは、ギャップを明確にして改革に舵を切る方ですか?それとも、、、?

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。

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