実践的な技術戦略の立て方その㊷「利益倍増を実現するR&Dパイプラインはあるか? 」

「これだとハンドルのない車を運転しているようなものじゃないですか?」とA社長は言いました。「実際、多くの会社でハンドルが無いので珍しいことではないのですが、高収益企業では普通にハンドルがあります」と私が答えるとA社長は苦笑いしました。

私の話が皮肉に聞こえたのだろうと思います。言葉にはしませんでしたが、A社長は「うちが高収益企業じゃないということですか?」とでも言いたげな複雑な表情をしていたのです。A社長の苦笑いから、私にはA社の内部事情が感じられていました。

というのもA社は高収益企業だったのです。2022年の法人企業統計によると、日本の製造業の営業利益率は約4.5%です(令和4年度の財務省公表数値より筆者計算)。一方A社の営業利益率の水準はそれを何倍も上回るものでした。このことから、A社は立派な高収益企業と言って良いと思います。

そんな高収益企業のA社ですから、A社長は安泰だと思われるかもしれませんが、実はそうではなかったのです。というのもA社長のお悩みは、「足元の利益が棚ぼた案件やラッキーが重なったものでしっかりとした計画に基づくものではなく、再現性がないため将来がとても不安」というものでした。

私とA社長はその再現性についての話をしていました。言うまでもない話ではありますが、棚ぼたやラッキーで作った高収益が理想なのではなく、計画的に再現ができ、将来に向けてきちんとした仕込みができているという状態が理想的です。

どうすれば理想的な状態にすることができるのか?私は持っていた資料を投影してA社長に高収益企業の成長の仕組みについて説明をすることとしました。私のPCを会議室の大型ディスプレイにつなげて、ディスプレイに投影しました。私がA社長に示した資料を示します。

高収益企業のR&Dパイプライン・マネジメント

「この資料は右のR&D目標から見てほしいのですが、右の棒グラフに目標利益と現状利益のギャップがありますよね?この定量化が最初に必要なのですが、これはしていますか?」と私が聞くとA社長は「まあ、定量化は簡単にできますよね」と答えました。

私は説明を続けました。「そうですね。このギャップが明確になったら、これを埋めるための開発テーマがなければならないですよね。これを管理するのがステージゲートですが、図のように3件始めても1件しか成功しないなど、成功率1/3という確率計算ができます。」

「逆に言えば、1件成功するためには3件始める必要があるということですよね?」とA社長が聞きましたので、「その通りです」と私は応じました。

「この確率計算に、商品化に成功した場合に見込める利益をかければ期待値が出るという訳です。当然ながら期待値が定量化した目標利益と現状利益のギャップを埋めなければならないということです」私が説明すると、「なるほど、まあ当然の話ですよね」とA社長は応じます。

「左側の「テーマ提案」の所には「テーマ候補」のアイコンがありますが、これも確率の話です。すべてのテーマ候補に予算をつけることはなく、テーマ候補の中の一部がテーマとして実行されます」私がこう説明すると、A社長は黙って聞いていました。

「図にあるようにテーマを3件やり始めるためには、テーマ候補が6件必要で確率的には3/6=1/2となります。ここまでの話をまとめると、1件の商品開発を成功させるには6件のテーマ候補が必要になる、と計算できます。」と私が加えるとA社長は「計算できる、というのはどういうことですか?」と聞きました。

R&Dパイプライン管理の確率計算とは

「確率がどの程度になるかは上がってくるテーマの質次第ですから、1/2になるか、提案されるテーマ候補の質によってもっと高いかもしれませんし、もっと低いかもしれません。大事なのは、計算しKPIとして管理して向上させるように努力することです」と私が説明すると、A社長は無表情で頷きます。

「それで一番左の項目の「R&Dテーマ提案」ですが、6件のテーマ提案をするべく、きちんとした企画活動をするというものです。用途探索と呼ばれるテーマ提案手法や潜在課題発掘というテーマ提案手法があり、これらを使って調査するということになりますが、この業務を一人何件程度するという目標設定が必要になります」と私が説明すると、「手法って何ですか?」とA社長は聞きました。

「そうですね、マニュアルで調査や企画のやり方が決まっていて、誰でも一定の水準で調査や企画ができるように決まっていることが重要です」と私が説明するとA社長は少し驚いたような表情で「そんなマニュアルがあるんですか?」と聞きました。

「マニュアルはありますよ。テーマを企画するために調査する事項がすべて決まっていて手順も明確です」と私が答えると、A社長は少し笑みを浮かべながら頷きました。マニュアルがあるなら社員にさせられる、と思ったのかもしれません。

「こういう全体像を『パイプライン』と言いまして、高収益企業にはこういう仕組みがあって、回っているのですよ」と私が説明するとA社長は眉間にしわを寄せて首を傾げしばし沈黙しました。そして、「本当ですか?まあマニュアルは分かりますが、今説明された確率計算までしているのですか?」とA社長は聞きました。

パイプラインマネジメントへの意識の差

私は内心「やはり疑うよな」と思いました。というのも、この確率計算やKPI管理などは、高収益企業とそうでない会社でかなり意識の違いがあることを知っていたからです。つまり、高収益企業では確率計算やKPIによるマネジメントがされている一方で、高収益でない企業ではこうした定量マネジメントが軽視されるのです。そのため、A社長の疑いの目はよく理解できました。

「この確率の計算とかKPIを軽視されない方が良いですよ。仕組みを運用するのは年単位の仕事ですから、同じ尺度で測って改善し続けないと場当たり的な対応になりますから」と私が言うとA社長はまだ半信半疑という感じの表情で頷きました。

「社長、高収益でない会社には、こういうパイプラインのマネジメントがありません。なので、外から見れば同じようなことをしているように見えますが、新規テーマの創出に関して計画が立たない状態なのですよ。つまり、利益目標はどこの会社にでもありますが、達成できる定量的見込みは全くないのです。さらに忖度文化ですから、社内でそれを指摘する人がいないのです」と私が言うと、A社長はギクリとした表情を浮かべました。

A社長の表情からは、私の発言が当たっていることが読み取れました。つまり、A社でも同様に、テーマ創出の定量的見込みがないことや、忖度文化などがあって利益目標の見通しなど立つ状態ではないのだろうと予想ができたのです。

私はその後言葉を続けませんでした。会議室には沈黙が流れました。その沈黙が経過した後、「これだとハンドルのない車を運転しているようなものじゃないですか?」A社長は本コラム冒頭の言葉を言いました。パイプラインのない会社をハンドルのない車に例えたような話で私も即座に理解しました。

前述したように私も応じたのですが、A社長の言葉だけでなく、表情からも半信半疑の感じが薄れて、パイプラインマネジメントの必要性が少しは納得できたことが感じ取れました。その後、A社長と私はパイプラインのことをさらに詳細に話し合ったのですが続きは次回のコラムで掲載したいと思います。

さて、読者の皆さんの会社ではこのパイプラインマネジメントがなされているでしょうか?上述したように、高収益企業には普通に回っている仕組みである一方、高収益でない会社では必要性について意識されつつも回っていない仕組みです。

その最も顕著な違いは、その必要性に関する認識の相違だと思います。高収益企業ではこうしたマネジメントが必須だと思っている一方で、高収益でない会社ではその認識がまるでないことです。こうした意識の相違は仕組み構築や運用の差になり、テーマ数やスピードの差になり、業績の差になっていくのです。

この記事は日経テクノロジーで連載しているものです。

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