トップは会社に何を残して去るか

「どうせ僕が言っても、聞いてくれないですから」。

私は外部コンサルタントとして、企業から社内セミナーや研修の依頼を受けて講師をしています。先日、初めてのクライアントから講演をしてほしいとの依頼を受けて、打ち合わせしていた時のことです。冒頭の言葉を耳にしました。

講演の依頼主は、とある会社の開発部長。仮に「Aさん」としておきましょう。Aさんは技術だけではなく知財にも精通しています。加えて、自社知財の取得だけではなく、他社知財の排除にも目を配ることができる優秀な人です。

私は「どのようなことを意図していますか?」と伺いました。Aさんは「社長を含めて経営者に聞いてもらいたいと思っています。また、管理職以上の技術者も来ると思います」と言いました。さらに、講演依頼の背景や理由について聞くと、Aさんは「うちの会社では『競合比較表に基づく開発』を実施しています。社長は常々『売り上げを倍にしたい』と言っています。しかし、うちの会社の開発テーマに上がっているのは、競合他社もやっていそうなテーマばかりです。しかも、競合他社を意識していればまだましな方。顧客要望対応とコスト削減ばかりの部署もあります」と話してくれました。

競合比較表については、本コラム第2回で紹介しました。おさらいすると、以下の通りです。製品の機能などの評価軸で競合他社と自社を比較し、自社が負けている「機能Y」の強化を図ることにより、競合に「負けない」ようにする方法です。


「負けない」と言えば聞こえは良いのですが、利益率の観点からは望ましくありません。同質化が進み、価格および利益の低下を招くことも第2回のコラムで述べました。

「僕が言っても聞いてくれないですから」

「それでも、社長は売り上げを倍にしたいと言っているのでしょう? 倍を目指しているのであれば、何かしてるんじゃないんですか?」と問い掛けると、Aさんはこう答えました。「いえ、私も開発会議に出ていますから分かります。面白い開発テーマなんてありませんよ。『競合に追いつけ追い越せ!』というテーマやコストダウンのテーマ、そんなありきたりのものばかりです」。
Aさんの会社の業績を見ると、売り上げの伸びはほぼゼロです。売り上げの爆発的上昇が見込めるかといえば、そんな感じはしません。その上、産業的にも古いため、このままでは倍どころか上がる気配なしといった感じです。営業利益率はここ数年、わずか2%前後をうろうろしています。利益率も売り上げ同様に上がる気配が感じられません。

「それでは売り上げが倍になることはないんじゃないですか?」と私は言いました。するとAさんは「その通りですが、社長に言っても分かってもらえません。どうせ僕の言うことなんて、聞いてもらえないですから」と言って、半ば諦めの表情を浮かべました。

経営者が部下の意見を聞かないというのは、何とも残念なことです。この会社の改善につながるようなことをしたいと思い、Aさんからの講演依頼を私は喜んでお引き受けすることにしました。

B社の事例

Aさんの依頼を受けて、私は何を話そうかと思案しました。経験の中からどこの会社の事例が良いかという思案です。これまで関わってきた企業の中で、A社と似たような企業がありました。社長をはじめ経営者が、競合比較表による開発を主導していたB社の事例です。B社は化学会社。B社も私と関わる前は、競合比較表に基づくテーマを遂行するというやり方をしていたそうです。

このB社も低収益の状態でした。営業利益率は3%程度。Aさんの会社と大差ありません。しかし、Aさんの会社とB社とで大きく違ったのは、B社からの依頼は社員からのものではなく、社長からの依頼だったことです。B社は、私が主催するセミナーに社長自らが参加し、聴講して、自社での講演を依頼してきたのです。私は打ち合わせ当初から、変革に懸ける社長の思いを感じました。

B社のコンサルティングでは、組織再編や研究開発・知財に関する規定、業務の新設・修正を行いました。コンサルティングや変革の規模としては比較的大きなもので、私も2年ほど関わりました。その甲斐があって、B社では複数のテーマへの投資ができました。そのうちの1つは既に商品化し、粗利率が50%を超える業界初の商品になったと聞いています。

B社に関与するようになって私が感心したのは、変革のスピードです。コンサルティングを行う以上、変革するのは当然のこと。その成果として高収益な商品が生まれるのも、ある意味で当然です。むしろそうした結果よりも、B社において変革がとてもスムーズで迅速に進んだことに驚き、感心したのです。

B社の変革はなぜ早かったのか? と言えば、それは社長および経営陣の変革へのコミットメント(不退転の決意)だったと思います。コンサルティングは長期にわたりますが、社長の言葉や語気、表情、態度から読み取れる意思の強さを折に触れて感じました。

余談になりますが、コンサルティングにおいて経営者の意思は非常に重要です。仕組みを新設・修正することになると、関係者が多数になります。関係者の意思をまとめるのに社長や経営者の意思が問われるのです。

問題があれば自分の代で解決せよ!!


いよいよAさんの会社での社内講演の日が来ました。講演では守秘義務を守った上で、差し障りのない範囲でB社の事例を話すことにしました。講演には、予定通り社長を含む経営者が出席し、私の話を熱心に聞き入っていました。

私はB社の事例を中心に、競合比較表は減益を招きがちなことや、知財が取れないテーマに予算を投下してもムダが多いことなどを話しました。講演は何事もなく終わりましたが、Aさんと会社のその後がとても気掛かりでした。B社の事例など私の話した内容は、社長をはじめ経営者にとって「耳の痛い」内容のはずだからです。果たしてAさんの意図通りに改革が進んでいるのかどうか、数カ月経った頃にAさんに聞いてみました。

「その後、どうですか?」と私が水を向けると、「いやあ、それが、恥ずかしながら何も変わりませんでした」とAさん。変革には至らなかったそうです。残念ではありましたが、A社の例のように、経営者が話を聞いても改革に動かないことはあります。「知ったら即行動する」というB社の社長のような人は思った以上に少ないということを実感しました。

社長が即行動しないとどうなるか?──。どんなに優秀な社長でも、いずれは退任の時期を迎えます。A社は東証一部上場企業。売り上げこそそれほど大きくはないのですが、巨大財閥の名の付いた会社です。A社の社長は生え抜きで、いわゆるサラリーマン経営者です。そして、そのうち退任していくのです。

お話を伺った時のAさんの表情は冴えず、「(つまらない仕事を)淡々としてます」と苦笑いされていました。楽しくなさそうだな、という印象を受けました。その時、私はある名言を思い出しました。「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上とす」という言葉です。

この言葉は、経営者を含む人の上に立つ人に向けた言葉で、財産を残してもダメ、事業を残してやっと中くらい、(優秀な)人を残してやっと上の成果と言えるという意味だと理解しています。経営者であろうがなかろうが、人の上に立つ者としては、後の人が仕事をしやすくなるような環境を残したいものだとしみじみと思いました。

この記事は日経クロステックで連載しているものです。